「Take Your Pleasure Seriously」手書き文字を究める道
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この記事はルカ・バルチェローナの著書『Take Your Pleasure Seriously』(2012)に 掲載されたものです。
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うわぁ、
印刷したみたい!
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ついにできました。今までは私のハードディスクやフラットファイル以外にはちゃんとした保存場所がなく、常に「時代順序が無秩序な」状態で保存されていた私の作品をまとまった形で見られるのです。これまで私はそういう引き出しを開けることになるとついしり込みしてしまい、全部を整理して保存するぞと、繰り返し自分に誓っていました。しかし、データは、少しは移動しても相変わらずそのままで、私が時間をかけて古いスケッチブックに目を通し、それを年代順に分類できるような、なかなか手に入らない平穏な時間を待っていたのです。言うまでもなく、そのような落ち着いた時間はずっとやって来ませんでした。
現在に至るまで、私は古いプロジェクトを分類して整理するより、新しいことに専念するほうが好きでした。こんなふうにして私は、ちゃんとしたウェブサイトやその他の適当な保存場所を持たないという形の上での無秩序に対処してきました。
そしてある日、私は自分のいろんなコレクションをきちんと並べ始め、なんと多くの素材が日の目を見ていなかったかに気付きました。その多くは古びていると思いましたが、それは自分自身の進化に影響を受けた私の見方に過ぎなかったかもしれません。もし5年前の作品を見返して何のあらも見当たらなければ、それはあまり進歩していなかったということでしょう。年数を経て、まるで他人が作った真のヴィンテージもののように思えた作品もありました。かくして、まさにその日、私のすべての作品に具体的な形を与える必要性が心の隅に芽生え、それからその思いは何度も現れるようになりました。
この本(自身の著書『Take Your Pleasure Seriously』)がちょうどよい機会となり、私が過去数年にやったすべてのことを否応なしに振り返って把握することができました。時間的には、私が大変敬服し幸運にも会うことができたカリグラファー達が長い年月を費やした経験に比較しようもありません。それでも、私はその時間を使って、全力で走り、常に新しい作品を制作し、絶え間なく紙とインクを消費しました。そして、いったん立ち止まって何が起こっているか理解する時間もないほどでした。
「まるで印刷のようだ」というコメントを、カリグラファー達は皆、自分の書いた物を見た人達から繰り返し聞きます。そういう人達はたいていどのようにカリグラフィーが実践されているか見たこともないのです。私はそう言われると愉快になります。私だって以前、初めて手書きのレターフォームが載った本を見たときは、そう言ったでしょうし、確かにそう思いました。すべてのカリグラファーにはそれぞれの経験談にも表されている一連の動作があります。文字の世界の外にいる人は、デジタル文字や非の打ちどころのないベクターグラフィックスの完璧さに確かに慣れてしまっています。しかし同時に、平ペンが、一見すると簡単な一連の動作で、見慣れてはいるけれどその起源について考えたこともない文字をいかにして生み出すのかを見て驚くということを、この「まるで印刷のようだ」というコメントをたびたび聞く経験が示していると思います。
カリグラフィーの強みの多くは、特に今日、実演を見るというところにあると私は思います。ですから、私はワークショップではいつもパフォーマンスやビデオ、デモンストレーションを組み入れようと努めています。これらのちょっとした「追加事項」によって、ペンが紙の上を動き、ちょうど良い方法でインクを紙に広げる潜在的な可能性を私が初めて理解した時に感じたのと同じ興奮を、見ている人に起こすのが私の望みなのです。
私は常に、真に上達するには自分の活動に他人を巻き込み、彼らと絶えず連絡を取り合う必要があると思います。ウェブによってこれが可能になり、だれもが自由に作品を見、それにコメントし、ある程度適切に評価することができます。カリグラフィーが私の大半の時間を占めるようになり始めて以来、私はそのとき手掛けていることをネット上に発表することで人と共有することにしました。過去数年の間、私がドラフティングテーブルに向かっている間にも私の作品がウェブ上で世界を駆けめぐっているのを見てきました。わずかな例外といえば、2,3冊の雑誌記事とその他の出版物でしょう。
私はあまり深く考えず思いのままに作品をネット上で発表してきました。考えすぎると、あれで良かったのだろうかと後悔し始めるとわかっているからです。むしろ、新しい作品が完成したらすぐに前もって描いたスケッチやその他のドローイングもアップします。それは、地球の裏側の人が私の作品を即座に見て、おそらく私と同じようにわくわくするかもしれないと思うと、それをすぐに共有せずにはいられなかったと言ってもよいでしょう。時には落胆した人もいるでしょうし、間違った目的のために使った人もいるでしょう。しかし私は気にしませんでした。私は自分が今していることを誰にでも、すべての人に見せるという本能的な欲求を感じました。そして、それこそ私が物ごとの意味を理解し、毎夜熟睡するために必要な事なのです。
私が思い出すのは、ある夜、バーゼルでザンクトガレンの地球儀の複製に携わっていた時のことです。コンピューターを立ち上げ、怖いほどの驚きを感じました。普段は1日200人くらいの人が私の活動を見ているのですが、その日は2000人以上にも達し、途方もない数のメッセージやどんなに頑張っても実現できないような仕事の依頼をもたらしていました。すぐに私はこのような関心はすべて、ある評判の良いタイポグラフィーのブログにアップしたほんの2,3枚の画像から端を発していることに気付きましたが、インターネットのような媒体の信じられないスピードと利便性のおかげで、人生がある一瞬から次の一瞬にどんなに変わるかと考えるとまだ少し震えるくらいでした。私はそのことを大局的に判断しようとしましたが、画像をアップすればするほど日々の依頼が増加しました。タトゥーのデザインを依頼してきた人もいましたし、私がしていることが好きだとだけ書いてくる人もいました。
レター・アーツ・レビュー誌は私の活動についてインタビューと特集記事に16ページを割いてくれましたが、それが出版された時、私は少しうろたえたほどでした。本当に私はこのような知名度に値するほど偉くはないと思ったのです。私は30~40年以上の経験を持つ熟練のカリグラファー達がこれを見てどう思うだろうかと考えました。しかしこの記事を編集したクリストファー・カルダーヘッド は、読者はグラフィティと秩序立ったカリグラフィーの融合にとても興味を持っていると言ってくれました。
その雑誌には、この他にも作品やタグがいくつか掲載されました。それは私が長年にわたって注目し賞賛している質の高い雑誌だったので、誇らしく思いました。このことは、私の作品の美的価値について真の評価をもらったというよりも、むしろ、それまでは薄汚い落書き行為をする輩たちとして、そして適法性の問題や私的財産権の領域と結びついたような、非難されたり表面的にだけ取り扱われたりしているのをたびたび目にしてきたレタリングの一種(グラフィティ)の尊厳を、頑張って取り戻したかのようでした。私の作品についてのその側面はすでに過去のものになっていましたが、それでもなお私は私の歩んできた道を形作った部分としてそれを堂々と認めようと決めていました。そして、物事が元の場所に戻り始めたのはその時からでした。
私は雑誌とウェブ上の両方でたくさんのインタビューに答えてきました。当然、同じような質問には同じような答えになります。例えば、「どんな風に始めたのですか?」という質問には、いつも同じように答えるしかありません。また、タイポグラフィーの冊子『Codex』 の第1号に掲載された記事の最後で「本を出版されますか?」と聞かれた時などは、どのように答えようかということの方に考えが及びました。私は、「まだ誰にもオファーされたことがありませんよ。」と答えました。私自身の怠惰な性格を考えると、決して自分の意志だけでは実現しなかったでしょうから。
そのことがきっかけとなって、前述した作品分類の重要さに直面したまさに翌日、このインタビューの読者の一人が、私が考えているのと同じ基準に沿って本を出版するというプロジェクトを提案して来ました。私は偶然であろうとなかろうと、運命が私達に送るささやかなサインを深く信じます。その結果が、約1年後、皆さんが今手にしているこの本なのです。
思うに、チャンスというのは、乗車するには文字通り飛び乗らなければならないボンジーニョというリオデジャネイロのロープウェイのようなものです。一旦踏み出せば、新しい人々に会え、周りの色や状況が見る見るうちに変わるのを目にします。素早く乗ってしまうと、降りる時にはほとんど気付かないうちにとても豊かな気持ちになっているのです。
ですから私は、文字の形の指導や言葉、精神性、愛、親切、そして友情でここまでの私の旅路を満たし、豊かにしてくれたすべての人に心からの感謝を送ります。私の旅路はといえば、おそらくこれが始まりにすぎないのでしょう。
Luca Barcellona ルカ・バルチェローナ
1978年生まれ。イタリアのミラノにスタジオを持つグラフィックデザイナー、カリグラファー。文字は彼の創作活動において最も重要な要素である。 イタリアカリグラフィー協会にてカリグラフィーの教鞭をとるとともに、アメリカ、オーストラリア、ブラジル、ドイツなど世界各地でワークショップの講師を務める。その活動が示す通り、文字と言葉に関わる伝統的芸術の手書き技術をデジタル時代の表現手段と共存させている。2003年に、ラエ・マルティー二、マルコ・クレフィッシュと、カリグラフィーを含む手書き文字とイラストのライブパフォーマンス集団レベルインクを立ち上げる。2009年には、スイスのカリグラファー、クラウス・ペーター・シェッフェルと共に、スイス国立博物館において、1569年に作られた大きな地球儀を、当時と同じ道具(羽ペン・自然素材で作られたインク)を使った カリグラフィーで、原作に忠実に複製する作業の実現に寄与した。文字のデザイン依頼を受けたブランドとして、Carhartt、Nike、 Mondadori、Zoo York、Dolce & Gabbana、Sony BMG、Seat、Volvo、Universal、Eni、Mont Blanc、Wall Street Instituteなどが挙げられる。また、最近参加した展示には、プラハで開催された『Stuck on the City』、ドイツのCarhartt Galleryで開催された『Don't Forget To Write』がある。多くの個別のプロジェクトへの参加と同様に、彼の作品は多くの出版物に登場している。自身の服飾ブランドLuca Barcellona Gold Seriesを2010年に立ち上げ、最近では初の単行本である『Take Your Pleasure Seriously』を彼自身がメンバーを務めるLazy Dog Press社より刊行している。彼の文字デザインに対する取り組みは、グラフィティの経験から伝統的なカリグラフィーへと導かれ、更に大きな壁に描く ウォールペイント、タイポグラフィーそして活版印刷まで広がっている。
ウェブサイトhttp://www.lucabarcellona.com/
翻訳:深尾全代
清水裕子