John Stevens インタビュー その2

Interview with JOHN STEVENS 第2回

質問:貴方は、商業的な仕事と同様に指導者としても評価されていますが、指導する際に留意されていることを教えてください。また、カリグラフィーを教えるときにタイプフェィスは利用されますか?

私は通常、技術や文字のスタイルだけを教えたくありません。そこが出発点になることはありますが、終点になることは絶対ありません。

私にとって変わらない思いとは‐「自分のやりたいことがわかっているとする。自分の現在置と向かう場所とのギャップを認める。するとその目的や理想に向かう作業は、一層価値のあるものとなる。」これは概念的な話です。

美しい文字とは、美しいストローク、スペースや配置の集まりです。細部や技能への注意はその3つに続き、美しさに貢献します。

昨今の生徒たちは、カリグラファーとしての技術を学ぶこと以上のことを求めていると思います。表現するためのアイデア、もしくはカリグラフィーの利用法を探しているのです。

カリグラフィーとは、色々なものとなり得るようです。ある人にとっては、興味があるものを作る過程です。そして、ある人にとっては美しいイメージを作ることで、またある人にとっては、表現方法です。もしくは、上記のいくつかを組み合わせたものであるという人もいるでしょうが、通常は、どれか一つが他より顕著であることが多いようです。

私は、生徒の目指すものや長所を引き出すことを最も重要視するようにしていますが、同時に自分が経験から学んだことを伝えるのも価値があると思っています。良い文字の形を大事にすることは、そこに無関心な世の中となぜ関連性があるのか?私は、良い文字の形やデザインを大切にしているので、願わくは他の人にも興味を持ってもらい、その人個人の美学や理想と結びつけようと思うようになってもらいたいのです。(何かを指導する立場の人なら、誰でも自分が大切に思っているものを分かち合いたいと思っているはずです。)

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左から順に
*Headlinersのポスター 1986 各種ペン&筆・キャンソン紙・ミクストメディアを使用。文化によって異なる暦と計時の概念を多国語のテキストで引用。
*Primum non Nocere 2006 文字は平筆・ゴールドを使用。
*Headliners ポスター 1988 黒い紙に種々のメディア・ペン・筆を使用。1つの作品として紙に作り上げた後、ポスターとして複写で印刷。アルファベットを称える内容のテキストを種々引用。
*The Scribe Edward Johnston 1984 ファブリアーノ紙・ペン各種・ガッシュ・23金ゴールドリーフ。Edward Johnston が1906年に出版した、大変影響を受けた本Writing, Illuminating & Letteringからテキストを引用。

私は、生徒に「私の好きなスタイル」を教えたり、他の誰かが作ったような「派生的な」作品を作るように仕向けたりしたくありません。時々、ワークショップからの作品を自分の作品としてコンクールに出品する人を見ます。確かに製作したのは本人ですが、講師から学ぶために与えられたツールとして作ったものです。まだそれを自分のものにするほど時間をかけていませんし、作者の本質的な価値観を代表する作品になっていません。見る者は、作者が指示に従うことが上手いということ以外、その人から分かることはありません。学ぶためにはある程度真似ることはあると思いますが、いずれ何が自分にとっての「本物」かを見つけないといけないのです。ですから、たとえ貴方がローマン・キャピタルやミニスキュールやイタリックを美しく書けるように学んでいるとしても、貴方自身の「個性」を取り入れる余裕はまだあります。そして、自己表現、価値観、意向、自分の望むものなどを加えることができたなら、それだけで貴方にとっての可能性の幅が大きく広がるのです。しっかりした知識に基づいた貴方の選択は、効果を得るために誰かの選択や考えを真似ることとは異なり、作品を、貴方にしか作れないものにしてくれるのだと私は思いたいのです。

その後は、クリエイティヴな問題、言葉、グラフィック的に何を語りたいのか、そしてこの単純な道具とマークによって何を言いたいのか。貴方が加えることができるものは無限です。人によっては、言葉とその意味から始めるでしょう。そして、今まで私が述べてきた理由、述べていない理由から始める人もいるでしょう。

私は一人の指導者であり、形、文字の形の美しさ、デザイン、そしてリズミカルに動く線の表現力を重視します。そして、私たちが「文字」と呼ぶ小さな図形記号たちに内在する美しさに魅せられています。一枚のページの上に作り上げることが可能である、力強くも繊細である様々な関係が大好きです。指導する際、私は、今説明したようなことを生徒たちが深く理解し大事に思ってもらえたらと思っています。

このようなことは、特に「カリグラフィーが簡単にできる」ワークショップのような状況では必要だと思っています。カリグラフィーの初心者に対しては、豊富に情報が存在していると思います。それはそれでいいのです。ただ、まるで「修道士が書くような」美しい文字を書くカリグラフィー以上のものにしたいのであれば、次の段階は重要です。
指導者は、意識していなくても自分の価値観、道具や技術の知識や見識を伝えることとなります。それは、一種の生徒との共生関係、ほぼコラボレーションに近いものです。

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指導の際にタイプフェィスを使うかどうかですが、文字の形のデザインを教えるときに使うことがあるかもしれません。(結局のところ、タイプフェィスもデザイン力や思考力、そして様々な制限に忠実に従ってできたものです(カリグラフィーに制限要素があるのと同じように)。文字とは、どんな文字であろうと、何かを具体化したものです。例えば、優雅さ、動き、エネルギー、リズム、技能への注意、考えの表現。それは「書くことへの貪欲な衝動」から始まり、学べば学ぶほどのめり込んでいくものです。

Edward Catich神父は、ローマン・キャピタルへの取り組みが有名ですが、それはほんのごく一部にすぎません。

彼の考えの一つとして、「上手く練り上げていても的外れな考えであれば、称賛の気持ちより失望感を引き起こさせる」というものがありました。これは、技術だけでは足りないということを示しています。

Catich神父の考えの幾つかは、Edward Johnstonやアーツ・アンド・クラフツ運動を支持した人々の考えの延長線上にあるものです。つまり、美しいものは、真のものでもあるということです。

確かにそうでありますが、それが全ての真相だとは思いません。最終的には、ものの美学に関与することは、人間の試みの謎というところでしょう。

表現 -それは自分の思いや考えが展開されたもの、もしくは取り組むことへの喜びでしょうか? もしかして、自分が何らかの形で貢献できることを見届けることかもしれません。おそらく、答えは一つではありませんが、答えを探すことで、たどりつける場所があるかと思います。 表現、そしてそれに意味を見つけることが、このことを考える最もシンプルな方法です。それだけで、充分なのでしょう。

アーティストに関しての古臭い冗談があります。「人生で自分の思い通りに事が運ぶようにするのは難しい。だからアーティストは、自分の作品は思い通りに作ろうとするのである。」(ウディ・アレン、映画監督) そういうことなのかもしれません。

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本のタイトル

質問:将来、互いに近づき関連し合うには、カリグラファーと活字デザイナーは、互いをどのように理解し合えば良いと思われますか?

歴史的には、カリグラファーと活字デザイナーは結び付いていました。最初は全てがカリグラフィーから始まっていました。それが、活字の作り方や利用法に技術的制限が発生したせいで、文字(活字)の形のデザインに新しい制約の条件が課されることになったのです。ここでは、タイプフェィスについての歴史があれば役立つかもしれません。

デジタル処理で殆どのことが可能であるのが現状です。カリグラフィーと活字のデザインの「行為」は全く違うものです。タイプフェィスを作るには、役立つツールがあります。活字に関わる人がカリグラファーだったら役立つだろうというのが私の意見ですが、必須ではありません。

蓋を開けてみると、Steve Jobs¹はカリグラフィー(そして、そこから学びとる美学)に影響を受けて、アップルコンピューターのソフトウェア・エンジニアやデザイナーに、タイプフェィスの原理の規範とするものを印刷物(カリグラファーによる手書き原稿に基づいたもの)に求め、コンピュータースクリーンにも活用するようにと要求したそうです。(それが現在のコンピュータースクリーンで見られるものです。)それが、伝統的手法だからということではなく、長い時間をかけて進化を遂げたものだったからです。そこに形と機能の真のバランスがあったからです。 Jobs氏ほどの天才であっても、そこは独自に開発し直そうとは思わなかったのです。

カリグラフィーは、現代的ではないと非難を受けることがあります‐古臭い昔のものであると。この偏見が正当な場合も時にはあります。驚くことに、ここ15年ほどで主流となったデジタル世界は、私達の文字の形の見方を激変させました。残念ながら、この変化は全てを良くしたとは言えません。私達はこれを「変化は避けることができない」と軽視しています。しかしながら、全てのポジティブなことにはネガティブなことがついてきます。私は、この変化が今のカリグラフィーを全滅させてしまわないようにと願っています。

毎日のように「新しい」タイプフェィスのデザインが発表されます。良いものもあり、そうでも無いものもあります。優れたデザインの場合は、デザイナーが文字の形のデザインに対して深い敬意を抱いており、教育を受けている段階できっとカリグラフィーの原則に触れることがあったに違いないと信じたいです。

私達のもう一つの敵は、「無関心」です。多過ぎるほどの選択肢と可能性がある中、同じタイプフェィスばかりが使用されます。Trajan体は使い古されました。Waters Titling体の美しさを知る人は何人いるでしょうか。良質のものがわかるには、知識と意識が必要です。そうでなければ、結局、流行を追っているだけになります。(生活の多くの面がそうであるように。)このビデオをご覧ください:  http://www.youtube.com/watch?v=t87QKdOJNv8

私が言いたいのは— 利用できるものが増えています。しかしながら、それが理解を深め、正しい認識に繋がっているのでしょうか?それとも、私達は何か大切なものを失っているのでしょうか?そして、私達に何かできることはあるのでしょうか?

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*左:Caesar's Las Vegas 依頼のカリグラフィーデザイン
*右:Vertical Fractur 1999 平筆・キャンソン紙・白ガッシュ。東洋文化を思わせる縦書きを背景に、のびのびとした並びでFractur体のモダンな表現を探った作品。プランなし−数年の準備のみで、全く湧いてくるままに作成している。

古典的なタイプフェィスには、カリグラフィーを起源としていることが見受けられます。それは、初期の活字の製作者は、自分がカリグラファーであったか、カリグラフィーを基礎にした自分の型を作ったからです。そういう観点では、全ての活字書体は、「手作業」から始まったと言えます。そして、多くの古典的なデザインに関するページのデザイン、形の美しさ、読みやすさ、ページ・デザイン(もしくはブック・デザイン)の約束ごとは、カリグラファーから受け継いだものだったのです。人本主義な観点です。

活字書体のBaskerville体、Caslon体やHelvetica体は、最初は誰かが描いたものから活字の父型(パンチ)が作られました。父型作りは既に忘れ去られた技術です。

カリグラファーがある程度活字デザインに触れることにより、文字の形への意識が磨かれるでしょう。関係性についての観点(ローマ字を、単にイタリック体や何々体などと呼ばれる文字の集まりとして扱うだけではなく、手懐ける方法)を学べるでしょう。Frederick Goudy²はこう言いました。(意訳ですが)「誰にでも1つの文字の形をデザインすることはできるが、それらと合わせるその他の51文字をデザインすることが難しくもあり、やりがいがあるのである。」

このような考えは、恐らく今ではあまり支持されないでしょう。それでも、美しさや機能を存続させるには、必要なのです。私が良いカリグラファーだと思っている人では、活字から学べることに時間をかけなかった人は、誰一人としていないと思います。勿論、カリグラフィーと同様、良いものも悪いものもあります。学んだこと全てから、審美眼を養うことができるのです。そして、偉大な活字デザイナーの作品は、多少なりとも私自身の審美眼にも影響を及ぼしています。

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*左: Readers Digest 1993 各種ペン&筆・キャンソン紙・ミクストメディア。異なる文化と時代の、精神性の概念について書かれているテキストを引用。
*中央: Birth Announcement 1997 レイド状の紙・セピアインク・カリグラフィー・ペン。誕生発表の作品であると同時に、友人たちと家族の記念にと願って作った作品。
*¹ Steve JobsがReed Collegeにいたころの話を語った演説。
*² 20世紀に多くの活字書体をデザインしたアメリカの活字デザイナー。

以下は、Steve Jobsが2005年にスタンフォード大学卒業式で行った演説からの抜粋。
http://news.stanford.edu/news/2005/june15/grad-061505.html

日本語訳参考サイト

http://www.h-yamaguchi.net/2006/07/jobs_2f1c.html

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ␣ your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

■プロフィール
ジョン・スティーヴンスは、27年を越える経験を持つカリグラファー、ロゴタイプのデザイナー、表現に富むレターフォームのイラストレーターである。本や雑誌出版社、パッケージング、タイプデザイン、グラフィックデザイン、テレビ、映像で、有名な顧客を持つ。 作品展示や本への掲載も広範囲に亘る。2009年11月には東京でワークショップを開催。