下田恵子「映画制作の舞台裏で字を書く」

2011年1月から7月まで、『47RONIN』という映画制作に関わりました。そのときのことをお話したいと思います。

ある日、私のウエブサイトを見た映画の制作スタッフから電話があり、映画のセットを装飾したり、その為の小道具を作ったりするセットデコレーションのチームの一員として、6ヶ月間働かないかという話を貰ったのがきっかけでした。当時私には勤めていた会社があり、一度断わりましたが、次の週にもまた電話がありました。居住ビザの取得後で、フリーランスとして自由に動ける状態にあったため、考えた末に辞職して、彼らに雇用される形をとりました。

その新しい勤務先は、007のシリーズなどを撮っているPinewood撮影所の妹分、Shepperton撮影所で、いずれもヒースロー空港方面のロンドン西郊外。自宅から片道2時間の通勤です。撮影所の都合でハンガリーのブダペストにもセットを設けたために、そこにも10日ほど滞在して仕事をしました。

勤務の仕方は普通の会社と似ています。朝8時から夕方6時まで、昼休み1時間の10時間勤務。残業や土日出勤もありました。上下関係のはっきりした縦社会で、体育会系のようだと感じました。雇用主は映画制作会社で、雇用される側は、フリーランスの集まりや、以前組んだことのある面々など、紹介で仕事が動いているようでした。

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上段左から
机の周り:資料や試しに書いたものを貼っておくと、通りすがりの同僚やボスとの話のきっかけになりました。
キラ提灯:夢に出るほどの量だった紫の提灯たち。
下段左から
お堂柱:最後の全員切腹のシーンのお堂柱を、お経を書いた絹で包みました。
墓地:数をこなした物の一つである卒塔婆。墓石は書いた字をデータ処理し、小道具作りの人が型取りして出来た石膏のもの。

仕事内容はチームの他のメンバーと英語でコミュニケーションを取りながら、時には翻訳もし、書く内容を理解、把握し、書体を問わずに江戸時代、元禄の頃の日本語を書くことが第一でした。書く対象も紙、布、木など様々で、墨だけでなくペンキなどを使うこともしばしば。小さなものは手のひらより小さい箱のラベルや本から、大きなものは身長より高い幟や、家の戸、舞台の背景などで、毎日が未体験ゾーンでした。一番大量に書いたのは、船荷と提灯です。むしろのような素材にペンキで直接字を書いたり、ステンシルを作ったり。提灯にも直接書くのですが、アコーディオンのような状態の表面に直線を書くのがこんなにも至難の技とは、と思い知らされました。締め切りを前に量に追われるのは辛いことで、最後にはやけになって、勝手に姪の名などを書いたりしてしまいました。逆に、数をこなすうちに作業が気に入って好きになったのは布に書くことで、私の仕事の終わりが見えてきた頃に作った高さ6フィートの絹に書いた字は、自分でもとても気に入っています。

私や皆が作業するために、調べなければならないことも色々ありました。自分で字を書く小道具、巻物の形態や、書く文言、お経の種類に始まり、私がチームに馴染んでくるに従って、字に関係のないことのリサーチも頼まれることが増えるようになりました。切腹の作法、歌舞伎などの舞台照明、使用用途によって異なる扇子の種類、調度品から、仏壇、神棚、墓前のしつらえなどの宗教に関わることを何故か特に任されたり、時には隣で建物を作っている美術チームから意見を聞かれることもありました。さいわい両親や祖父母の影響で古いものが好きで、歌舞伎にも親しみはあり、お寺や神社も好きだったことも手伝って、楽しみながら調べものが出来ました。
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左から
切腹の場:誂えや調度品などを調べたと同時に梵字も書きました。東西南北で、書かれる字も異なるのだそうです。
祠と卒塔婆:お供え物や注連縄、紙垂(しで)などを任されました。

書道指導というと堅苦しく聞こえますが、これも日々を過ごすうちに持ち上がった話でした。オオイシ役の真田広之氏は、撮影開始前の早い時期から現場にいらしていて、同じフロアで日本人同士お話をする機会が度々ありました。小道具にも興味や意見をお持ちで、作業場にも顔を出されて意見交換をしていました。そういう繋がりもあって、血判書に署名する大事なシーンの撮影のために、筆の持ち方などを俳優さんたちが学べれば良いのではという話が出た時、私に指導して欲しいと要請が来たのです。当時の筆の運びや実在する登場人物の筆跡の画像をお見せしたり、筆の持ち方運び方、姿勢などを一緒にやってみたり、主な登場人物の署名をお手本として書いてお渡ししたりしました。ブタペストで一度、ウィンザーの森で一度、撮影直前までに計二度直接お稽古をしました。

最初のお話の時に、カイ役のキアヌ・リーブス氏から「(参考資料や当時の筆跡の書体が様々なのを指して)なぜこの見本とあの画像では字の見た目が全く違うのか。同じ日本語なのか。」という質問が出ました。話の最中でしたが、どうしてもそれが気にかかったのか、その場で疑問を解消しておきたかった様子でした。メインのキャストはキアヌ・リーブス氏以外、皆日本人。日本の学校で私たちは一度は筆を持ちます(それはとても良いことで、是非続けて欲しいと思っています)。日本人であればとりあえず毛筆の字の見た目や、筆を使った時の感触などは、何となくでも記憶のどこかにあるわけですが、その前提がないまま話を聞いたり、例を見せられたりしたキアヌ・リーブス氏は混乱してしまったようでした。そういう不利な点はありますが、出来る限り説明をして、実技に集中して貰えるようにしました。他の出演者の皆さんも演技の間の息抜きとして、その様子に興味を持たれたようで、字を書くシーンのないキラ役の浅野忠信氏や、魔女役の菊池凛子氏も覗きに来てくださいました。滅多にない毛筆と墨に触れる機会を楽しんでいらしたようです。ブダペストでは30~40分のお稽古となりました。
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左から
撮影現場:ウィンザーの森で。撮影開始直前の緊張した空気。
血判書に署名(映画のシーンより抜粋):左で筆をとりました。私はこれを横で少しハラハラしながら見ていました。

ウィンザーでは、撮影直前に筆の感覚を思い出していただく程度で、撮影現場の真横に簡易テーブルを置いて貰って、もう一度各自の署名のおさらいをしたり、筆の持ち方を確認したりしました。その過程にも様々なエピソードがありました。チカラ役の赤西仁氏は、だいぶ後から配役が決まったために、ブダペストでの一度目のお稽古には参加出来ず、その時が初めての指導になりましたし、キアヌ・リーブス氏はここにきて、利き腕の左手で書くべきか、右手で書いているふりをするべきかで迷っていたのです。剣はどちらで持つのか知りませんでしたが、書きやすい方で、とお勧めしました。また、カイというのは架空の人物ですから、名前が平仮名なのか漢字なのか、漢字ならどのカイなのか、或いは片仮名なのか(台本は英語で、表記はただKaiとなっていました)決め兼ねるという問題もこの段階になって問われ、ちょうどその場にいらしたオオイシ役の真田広之氏と三人で相談の上、カイの名前が誕生した際に念頭におかれていた「魁」の字を提案して、それでいくことになりました(全くの余談になりますが、カイはもともとヒロという名で台本に書かれていました。ところがキアヌ・リーブス氏が嫌ったため、彼の通訳であった方と三人で相談して、カイという音になった経緯がありました)。

本番までに真田広之氏、キアヌ・リーブス氏は、自主的に練習してくださったようで、書かれた字がカメラに収められなかったのが残念なほどでした。特にキアヌ・リーブス氏は、カイを漢字にすると決まったのが直前だったのにも関わらず、撮影当日には淀みなくあの難しい字を書かれていて驚きました。皆さん演技以外の細かいところにまで尽力なさるのだなと感心しました。撮影当日も、私は側にいて筆記具などのお世話をしていました。
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左から
クローズアップ撮影:第二撮影班のセットで。机上の小物、役者の着物、すべてメインの画面とマッチするように再現します。
血判書:序文と、全員の署名。
捺印後の血判書:メインの撮影終了後、第二撮影班のクローズアップでも使われました。

後に、第二撮影班という、クローズアップなどの個別ショットを担当する撮影班の指導もしました。今度は字がアップになって画面に映ります。指導する対象は、オオイシ役などの代わりをする手のみのエキストラたちで、全員書道初心者でした。撮影前に二日間、彼らと練習出来る時間を貰い、資料などをお見せした上で、各々の署名を真似て貰いました。彼らの手もとが撮られる時も、現場にいて最後までお稽古をしたり、道具を整えたり。しかし銀幕に大きく映し出されても見るに堪える字を書けるようにするには、二日間では所詮無理がありました。ただ、彼らの字が上手ではない、という事実は英米撮影スタッフには分かりません。その場で第二撮影班の監督と話をした結果、指を写すと女性だと分かってしまうため、私が書いて筆先だけを写したものも、後から撮ることになりました。レンズを変えるとそれに合わせて照明も調節するなどしていたのが面白く、機材や照明、撮影の様子を間近で見られた興味深い日々でした。

小道具の購入も手伝いました。撮影までにバイヤーが日本から買い付けてきた骨董品などが船便でコンテナ二箱分ありました。箸から箪笥や駕籠のような大きいものまでが倉庫に並んでいましたが、それでは足らず、提灯、和蝋燭、扇子、馬具、ふすまの取手、畳の縁の布地など、ロンドンから日本へ発注したものも沢山あります。時差を超えて日本の業者に電話をかけ、バイヤーが横で英語で話すのを日本語にして伝え、それにまつわる伝票の整理や翻訳もしました。
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左から
出島のセット:最初の仕事のうちの一つである、船荷がセットに配置されたところ。雰囲気満点でした。
刀鍛冶の家:大きい戸に直接ペンキで書く。大きさや太さのバランスが難しかったです。
寺お堂内部:本編には登場しないカットされた場面ですが、好きなセットの一つでした。

困ったこと、厄介だったことも、毎日たくさんありました。クリアと呼ばれる作業は一番苦手でした。私が書く内容が著作権を侵害していないかどうかを確認する作業です。大抵の場合何を書くかは私に一任されていて、著作権の問題をクリアするのも私の責任でした。人名から詩、お経、和歌、店名など、日本語と、それを翻訳した英語の両方を担当者に提出し、OKを貰ってから作業開始となるのですが、時には許可を貰うのをうっかり忘れて、皆に迷惑をかけたこともあります。文字は情報である、と再認識させられた業務でした。相談相手がいなかったのを辛く感じることも度々で、同じ日本人で江戸時代の美術や文化、言葉に強い人が側にいて相談出来たら、書く内容や字面などを判断する時に気が楽だったろうと、今でも思います。

この仕事をしながら日々感じたのは、まず、チームプレーが大事だということ。意思の疎通や連絡を密にしないと、作業が無駄になってしまうことも多々ありました。また、自分が書いているもの、作っているものを理解していないと、質問を受けた時に相手を説得できずに困ることもありました。逆に、その現場ならではのメリットもありました。7ヶ月もの間、朝から晩まで字を書いていると、字面を考えなくても腕が勝手に動くようになり、自分でも妙な感覚でしたが、それらの字はデザインして考えた末に書いた字よりも良くあらわれることが多かった気がします。量が質に変わることもあるということを体感したのです。様々なプロに会えたのも楽しい収穫でした。大工、図面引き、何でも資料を見て3Dで創ってしまう小道具作り、何でも書ける絵描きから、丁度いい量と質の煙が出せる効果係、お化けのようなカメラを操るカメラマン、彼らとバランスをとって動く照明係、いろんな一生懸命のプロのもとで、映画が成り立っているのを間近で見られたのは、映画好きとしてもクラフトに関わる者としても、嬉しいことでした。そして何より体力がいるのだと痛感しました。自分が渦中にいた7ヶ月は怒濤の毎日でした。字を書くことを業とする暮らしをロンドンで始めて、それまでは少人数のスタジオで、限られた人たちの中で同じ作業を繰り返す日々だったのが、三百人強が現場に関わる、新しい事だらけの毎日になりました。少し時間の経った今、振り返ると肝が冷える瞬間も何度もありましたし、結果的にあれで良かったのかどうかと、納得のいっていない仕上がりの物もたくさん。映画全体の出来がどうなのかという思いもあります。ブダペストで皆さんに書道指導をした翌日に、東日本大震災のニュースが飛び込んできたことも切り離せない記憶として残っています。でも、7ヶ月を乗り切れて、終わる時には幾人かの方から肯定的な言葉もいただいて、私が書く字が何かこのプロジェクトの役に立ったという自信がつきました。必要とされて、自分が出来ることを提供する。仕事とはそういうことかもしれない、と今思います。

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左から
民家:一番好きだった農村の家並みセットの中の、畳屋の縁側。この提灯は気に入っています。
舞舞台の背景幕:これも大きさに苦労したもののうちの一つですが、仕上がりは悪くなかったです。
野外セットの一部:何も字はないのですが、広さを感じていただきたくて!

一つ一つの仕事の話や裏話などを、もう少し細かくブログに書いています。よろしければご一読下さい。
http://calligraphy47.blogspot.co.uk/

<プロフィール>
下田恵子
兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、神戸で船会社に8年勤め、2000年退社。2001年にロンドンへ行き Kirsten Burke Calligraphy Studio でアプレンティスとして1年勤める。その後同事務所がウエディングステーショナリーの姉妹会社 Mandalay Wedding Stationeryを立ち上げるのと同時に、そこでアシスタントグラフィックデザイナー、カリグラファーとして勤務。2010年ごろから他のカリグラファーの仕事などを手伝い始め、個人でも仕事を受け始める。2012年1月から7月まで 『47RONIN』の映画制作に、書道家として関わる。その後、書道、カリグラフィー両方の仕事を個人で受けるフリーランスになり、現在に至る。
『47RONIN』の後にも『007スカイフォール』や『鏡の国のアリス』など、何度か委託で映画制作に携わる。
主なクライアントとして、 Mulberry, Burberry, Jimmy Choo , Claridge’s , Christie's など。
SSI(Society of Scribes and Illuminators)会員。
SLLA(South London Lettering Association)コミッティーメンバー。

ウエブサイト: http://www.j-wcalligraphy.co.uk/
Kirsten Burke: http://www.kirstenburke.co.uk/