デニース・ラッハ 『「書く」というゲーム 』

デニース・ラッハ 『「書く」というゲーム 』

私がカリグラフィーの道に進んだことに対して、あらかじめ運命づけられたものは何もありませんでした。例外は多分、正確さへの適性があり、それが製図技師としてのトレーニングを受けることになったことと、菓子やパイ作りの職人であった私の父の影響です。父はチョコレートの絞り袋でケーキに見事な文字を書いていたものでした。私は、スイスのバーゼル郊外のアルザス南部にある小さな町に暮らしています。バーゼルでは、たくさんの文化的、芸術的なイベントが行われ、その施設もあります。まさにこの町で、私は、この分野を紹介する美しい文字で書かれたポスターに出会いました。このようにして、1985年1月、長きにわたる情熱の旅が始まりました。

この一目惚れがきっかけとなって、私はその分野に関する本を買ってむさぼり読み、多くの講座を受講しました。歴史的な書体やそれがどのように進化したかについて学ぶことは、その後の私のカリグラフィー作品制作において重要なインスピレーションの源となりました。そして1990年1月、バーゼル・デザイン・スクールの教師であるアンドレ・ギュルトラーとともに、長い旅路に足を踏み入れました。最初に魅了されたバロック風の装飾的なアラベスク模様はもはや私の関心の中心ではなくなりました。新たに惹かれていったのは、「純粋化」すること、つまり本質的なもの、削ぎ落とされた形、ラインの質や息づかいを意識することでした。しかし、このことはまた、感性や美的判断についての再考へもつながっていきました。5年間の自由な立場での制作や研究の後、同校で、製版と版画の2年間のフルタイムコースに進みました。ここでの挑戦は、版画を使って、その表現の豊さを失うことなく筆やペンの動きを再現するということでした。ですから、4つの主要な再現技術の基本、つまり、木版印刷、リトグラフ、エッチングを用いた凹版印刷、そして、シルクスクリーン印刷をすべて学ばなければなりませんでした。そして、どのテクニックが、求める結果に最も適しているかを見つけることも。


これは厄介な作業でした。というのは、たいていの原版は文字を反転しなければなりません。ですから、私がほとんどの時間を注いだのはシルクスクリーン印刷でした。なぜなら、私たちにはスクリーンを露光する写真技術があり、文字を逆に書く必要がないのですから。卒業後、私は、20年間にわたり同校でシルクスクリーン印刷を教え、文字デザインプロジェクトに携わりました。

同校で過ごした期間中ずっと、私は、芸術的に豊かな環境に身を置いていました。アンドレ・ギュルトラー著『Experiments with Letter form and Calligraphy』の制作に協力しましたし、続いてパリのAlternatives社から、2001年に『Libres et Egaux』、そして2006年に『Preface et Preambules』を出版しました。このような機会に、グラフィックデザイナーである娘のマイテの協力もあり、私は出版の経験を積むことができました。私は読みやすさという制約を捨てて、よりジェスチャー的なアプローチを選びました。どんどんと変わった趣向の道具や材料を使って得られる結果に注力しました。とりわけ、文字を織り、絡み合わせて、まるごと質感のあるものを作る方向へと進みました。これらの「書かれた」イメージは、視覚的な模倣に適しており、自然界で拾い集めたイメージからインスピレーションを得ています。自然は素晴らしいインスピレーションの源で、私たちに観察するように促してくれます。


 

 

これらすべての「書くというゲーム」についての書籍をEditions Haupt社から出版する機会を得たことが素晴らしい冒険の始まりとなって、さらに3冊の本が続きました。多くの要素が、ひとつのライティングの「織り方」を左右します。ほんのいくつかの例を挙げれば、レイアウト、単語間のつながり、サイズやウエイト、黒と白のバランス、書く動作のスピード、道具やその持ち方,支持体(使用する紙や布等)などです。

しかし、とどまることのない好奇心こそが、この実験的な試みの深い喜びの原動力です。

文字で遊ぶのに特別な技術は何もいりません。手書きのおかげで、誰でもそれを試すことができます。それでもやはり、様々なライティングの形やスタイルを習得することは創作の可能性を豊かにしてくれます。そこにはルールがあります。それを知っていることで、それを避けることもできます。

歴史的な書体の特殊性は時がたっても色あせません。それを練習することによってこそ、固有の特徴にしっかり気づくことができます。観察力が鋭くなり、リズムやバランスの感覚が深まります。それらを統合してはじめてその先へ進め、自分自身のルールを作り上げることができます。ルールは自由への指標です。

ですから、文字を書くことが基本となりますが、読みやすさはもはや重要ではありません。
Haupt社から出版されThames and Hudson社によって英訳された2冊目の本は、『Journeys in Calligraphy: Inspiring Scripts from Around the World』というタイトルです。そして、最新の本では、同一の文章や構成、レタリングを用いて150ものバリエーションを掲載しています。引用した文は、”Blessed is he who has nothing to say and yet remains silent.”(語るべきことが何もなく、沈黙を守っている者に祝福あれ)です。

私とは異なる技術を持った人達と作業することで、特にテキスタイルや陶芸の分野で、私の視野は大幅に広がりました。陶芸家ブリジット・ロングとの密な共同作業のおかげで、たくさんのプロジェクトが成果のある展覧会となりました。

もう一つの素晴らしいプロジェクトはヘレナ・シェペンスとの共同制作でした。彼女は、ベルギーのアントワープ出身のアーティストで、銀細工で活動しています。

このような長年の出版準備、また、学生と交流し彼らの好奇心を掻き立てることができるような講義を通じて得た経験こそが、今日の私を形作っています。文芸と共に歩んだ40年。出会い、交流、旅、発見に満ちた40年。そして、忍耐と絶え間ない再挑戦の40年。私には後悔はありません。なぜなら、カリグラフィーは常に私の魂に美しい音楽を奏でてくれ、私は、それを分かち合い続けているのですから。

<講師プロフィール>
Denise Lach(デニース・ラッハ)
・1952年9月28日フランスのミュルーズに生まれる。工業製図家としての職業訓練を受ける。
・1984年から各国でカリグラフィーのクラスを受ける。
・1988年から1998年まで、スイスのバーゼルのデザイン学校(School of Design)にて、文字の概念の講義を受け、版画(エッチング、リトグラフ、スクリーン印刷、木版術)と実験的なカリグラフィーのトレーニングとディプロマを取得。
・Society of Swiss Calligraphers の理事を務める。
・スイスなど各国にて展示会やワークショップを開催
・1998年8月から2016年1月までスイスのバーゼルのデザイン学校にて、スクリーン印刷と文字の概念の教鞭をとる。

出版物
・カリグラフィーに関する著書5冊のうち、2冊が英訳されている。
(『Calligraphy, A Book of Contemporary Inspiration』『Journeys in Calligraphy』出版社:Thames & Hudson)

功績
・Karl Georg Hoeffer賞受賞(2016)
・Society of Swiss Calligraphers 名誉会員
・ベルリン芸術アカデミーのコレスポンデント-カリグラフィー・コレクション担当

  講師ウェブサイト: www.deniselach.com

デニース・ラッハ ワークショップの詳細はこちら→

翻訳:深尾全代、清水裕子

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