「伸縮自在な文字の形」石のテキストデザイナーとしての見解
未熟なタイポグラフィーはタイポグラフィーより前から存在していた
良い文字はスペース次第で更に良くなるということを説明します
あらゆる時代の碑文を比べると、その質も様々であることがわかります。質の良し悪しが最も顕著にあらわれるのは文字の形ですが、「良い」形の文字だからといって、必ずしも申し分のない碑文になるとは限りません。インペリアル・ローマンキャピタルのような見事な文字で彫られた碑文が、間違いなく美しいとは言えないのです。素晴らしく美しく理にかなった、繊細なバランスをもった文字の形が見られる碑文でも、文字間や単語間のスペースが上手くとれていなかったり、テキスト(文字群)の配置(図1)が石碑の構造や文字の形に相応しいバランスではない場合があります。文字の形は良いのにスペーシング(スペースの取り方)が良くない!もったいないと思いませんか?
図2 図3 ローマのアッピア街道沿いで撮影
DATVSやIRENEの文字間のスペースが上手くとれていない点が柔軟性に欠ける金属活字のスペーシングに匹敵する
手で文字をデザインする誰もが、カウンター(文字の中のスペース)の形には特別な注意を
払います。多くのローマの碑文に於いては、文字間やテキストの周りのスペースは「デザインされた」のではなく、無計画に彫って偶然にできたもののように見えます(図1)。
まるで、制作者がそこにはカウンターの形をデザインするときほどの注意を払っていなかったかのようにです。組み替えが可能な金属活字を使った活版印刷が発明されるかなり前のものでも、できの良くない碑文は下手にレイアウトされた印刷物のように見受けられます。美しくても柔軟性に欠ける文字の形が、互いの関連性を考慮せずに並べられているため、リズム感に乏しいのです(図2、図3)。遠い昔から、石碑を作る人にとってのテキストのデザインとは、ただ単に文字を繋げて単語を彫り、一行を完成させては、その下にまた次の行を彫っていくことの繰り返しであると考えるのが常だったようです。このような取り組み方から示唆されるのは、(例えばフェリーチェ・フェリシアート、ルカ・パチョーリ、アルブレヒト・デューラーが作ったような)手本となるアルファベット文字がルネサンス時代より前に存在していたということです。ここまで見てきたように、「手を加えることのできない」文字が手本としてあることは、レイアウトを考えようとしないのを助長してしまうものです。「理想」の文字一式、すなわち柔軟性に欠ける文字の形から始めることは、タイポグラフィーのものであり、手作業の文字のデザインには合わないと思われます。タイポグラフィーとは、主に予め決められた空間に固定された文字の形が並べられることですが、自分でデザインした文字でテキストを作る人は、単に自分にとっての「理想」の文字を並べるだけではない機会に恵まれているのです。
伸縮自在な文字の形
目的によっては柔軟性に欠ける文字の形が役に立たないということを説明します
職人が「伸縮自在な文字の形」という考えを持たずに作ったフォーマルな碑文は、数多く存在します。私にとってテキストのデザインとは、ネガティブスペース(文字の中のスペースと文字と文字の間のスペース)を比較しながら考察するということであり、様々なネガティブスペースの形を調整することでリズムを作り出そうとします。文字のプロポーションが同時に結果にも出発点にもなると考えています。文字とはリズムと構成を更に良くする潜在力を持つ伸縮自在な単位なのです。
図4 CORNEEL 図5 ROEL 図6 SANNE, ELMO 全て出産祝い
図7 QUINTEN 双子の一人に向けた記念品のためQを数字2の形に似せて
図8 EM 結婚25周年を祝うカップルのためのイニシャル
図9 TWEEN twoとoneでtwone 2つで1つ 幅2.5cm程のペンダント
図10 ROEL 出産祝い
図11 イニシャルH J L そして7×7 49歳の誕生日に
以上全て筆者が制作
自然のままの形をした石の表面に名前をデザインすること(図4~図11)は、タイポグラフィーの文字の形をもとにして考える、ということから私が抜け出すのに大きく貢献しました(とはいえ、文字を書くというよりドローイングする私は、カリグラフィーよりタイポグラフィーに親しみを感じています)。輪郭がでこぼこしている小石に活字を並べた単語を置こうとすると、文字が小さくなり、その周りに必要以上にとられてしまうスペースが、デザインされていないように見えます。そのスペースが無駄に感じられ、文字のデザインが石の物質的な存在感に負けてしまうのです。そのため、大抵の場合は異なったサイズの文字やリガチャー(合字)を使ったり、時には「ネスティング[nesting]」(図12)とも言われる、入れ子のように文字の中に文字を入れるのが望ましくなります。こうすることにより、単語と小石のでこぼこした輪郭が互いを補強し、文字の周りのデザインされていないスペースが、無駄になるどころか完全な価値を持つネガティブスペースとなるのです。可読性は低下するかもしれませんが、そもそもネーム・ペブル(名前入り小石)は、「極度に読みやすい」碑文でなくとも、美しい、気持ちがこもったオブジェであれば良いのです。
図12 UXORIS 〇〇の妻 ネスティングの例 ピサ(イタリア)
石文字の種類
平面的スケルトン(モノラインで書いた骨組み)文字、立体的文字、そしてその中間が認められます
古い教会の壁に見られるようなグラフィティ(落書き)(図13、図14)は、「平面的」スケルトン文字の形の良い例です。下書きをせず、先の尖った道具を書き手に向ける動きで作られた文字で、書くときの行為と似ています。
図13 図14 エトルリア文明の碑文 紀元前7世紀~紀元前1世紀 キウージ(イタリア)
図17 ローマ共和政期の様式 ローマ国立博物館 ローマ(イタリア)
キリスト教初期(図15、図16)とローマ共和政期(図17)の碑文は、「スケルトン」と「立体的」文字の中間にあたるものです。グラフィティと比較すると、やや太めの線、綺麗なVカット、更に完成度の高い側面が見られるものの、文字に立体感を出そうと意識が注がれたということが明白ではありません。私が推察するには、キリスト教初期の碑文は事前にドローイングされたわけではなく、ダミー(ハンマー)やチズル(のみ)を使ってチェイス[1]の方法で作られた文字で、(上でお話した、引っ掻いたグラフィティのように)書くときの行為に近いと思います。一方、共和政期の碑文は、もっとフォーマルなものです。おそらく石の上に木炭やチョークで書いた後、平らなチズルを使って幅の狭いVカットで彫られたのではないかと思います。その制作方法を考えると、私たちは書くというよりドローイングに近いと思うでしょう(このお話は後ほど「失われた機会」であらためて触れます)。立体感が非常に明白になると、陰影をはっきりと感じることができます(図18、図30、図31、図33)。
図18 筆者による碑文の細部 「HIC HORA SEMPER AMICIS EST」友はいつの時も歓迎する
文字が黒く塗られていて陰影がないため(図19、図20)、彫られた文字がたとえ肉太の文字であっても(図21)、引っ掻いた文字と違う状態ではあるが「平面的」になる。
図21 彫られた後に黒く塗られている(文字は彫刻的な特徴を失い、印刷されたかのように平面的になる)
典型的な石文字の特徴
・細すぎない
・太い線と細い線のコントラストが少ない
・長く細いセリフ(文字の最初や最後につく小さなストローク)がない
キリスト教初期の、幾分平面的なスタイル(明らかに立体的ではないという意味です)で彫りたいのでない限り、石文字は細くしすぎないようにデザインしなくてはいけません。長く、幅の狭いVカットを綺麗に彫ることはそう簡単ではなく、いつも以上の集中力を要します。線を太くすることで彫りも深くなり、Vカットの側面の幅も広くなります。それが、チズルにも支えとなり、(そのように仕上げたければですが)綺麗でくっきりとした側面が彫りやすくなります。そして、視覚的にも文字が細すぎない方が良い理由があります。彫り込みが、文字のストロークを暗く見える側と明るく見える側に分けるので、目の錯覚で、彫った文字はデザインしたときよりも若干細く見えます。そのため軽すぎる文字に見えやすいのです。更に、碑文は一定の距離を置いて(文字の形をドローイングする時よりも遠く離れて)読みます。また、背景となる石の表面に特徴があったり、テキストが使われる建築物がかなり堅牢なこともあります。このような時は常に、肉太の文字になるようデザインした方が良いでしょう。自然な成り行きとして、硬い石の場合はこれがそれほど明白ではなくなります。文字をデザインして彫る人は、柔らかい石の場合より(かなり)余計にチズルを打つ必要があることを考慮して、おそらく文字をやや軽めのウエイトにするでしょう。また、そのような石には自然と浅めに彫ることにもなります。
表面の粗い石を彫るときに興味深い問題があります。作者が思い描いていたはっきりとした文字の輪郭が、よろめいた線になってしまうのです。現実として作者は、心に描いていた文字の輪郭のイメージを諦めざるをえません。中心線とVカットの側面だけが元の形を保ち、この2つの要素のみが文字に視覚的な力と特徴を与えることとなるのです。
平均2インチ(5センチ)程度の文字を彫るのであれば、私なら石文字に太い線と細い線の明確なコントラストをつけないと思います。もっと大きい文字の場合のみ、細い線を彫るために技術的に必要な最低限のウエイト(文字の高さと線幅の比重)を失わず、強いコントラストの実現が可能なのです。例えば、トラヤヌス帝の碑文だと最小の文字は4インチ(9.5センチ)ほどです。2000年ほどの風化を経て、最も細い部分の幅は0.5センチ、セリフの最も細い部分は1ミリです。更に小さな文字でこの「トラヤヌスの」コントラストを試みるのは技術的にあまりおすすめしません。この、コントラストを持たせてデザインした文字をコピー機でかなり縮小してみると、文字の横の線やセリフが軽すぎて、文字の特徴が失われてしまいます。一方、非常に小さく印刷された書体を拡大してみると、同じ書体の大きいサイズの文字より太い線と細い線のコントラストが少ないことがわかります。細い横線を太くすることで文字内のスペースが狭くなることを計算に入れて、文字の幅は広げてデザインされています。
石にふさわしい文字に見られる3つめの特徴は、長く細いセリフが無いということです。様々な石の種類に、長くて細いセリフを彫るためにはかなり工夫が必要になります。私の見解では、カリグラフィーであればペンや筆で自然にヘアライン(極細の線)が出せますが、石に彫ることで長く細いセリフをつけようとすると、文字が不自然に見えると思います。スレートのような非常にきめの細かい石の場合は例外かもしれません。また、しっかりとウエイトがある大きな文字だとセリフも素直に彫れて、自然に見えると言えるでしょう。
カリグラフィー的な特徴
他にはどのような特徴が、石に彫られた文字を真の石文字とさせるのでしょう
私はエドワード・カティッチの著書『The Origin of the Serif』(セリフの起源)[2]を読んで、深く共感しました。彼は筆で文字を書く人として、一見すると難攻不落な先任の専門家たちの理論に疑問を持ち、その定説を崩してしまったのです。まるでロビン・フッドのようです。彼は、多くのローマの碑文の文字は、彫られる前に平筆で下書きされていると正論を唱えました。しかし、生粋の筆で文字を書く人であった彼が石に施したのは、筆文字を純粋に模倣したにすぎない文字だったのです。つまりカリグラフィー的な特徴があったということです。
典型的なカリグラフィーの形態は、ペンと紙とインクの相互作用から生まれます(カティ
ッチの場合は、筆とインクと石ですが)。真の石文字は、その特殊な素材を考慮して(もしくは考え直して)生まれるべきであり、石の特異性、彫る道具、文字のサイズ、テキストの機能性を考慮した上で、彫る行為を通して作られるべきなのです。文字の石彫家になりたいと思っているのであれば、その言葉どおり、紙やコンピュータースクリーンに文字をデザインするのではなく、チズルを手に取って直接石に向き合いながらデザインできるようになるべきです。
滑らかでムラのない硬さと質感を持つ、きめの細かい石を見ると、文字の石彫家はカリグラフィーやタイポグラフィーで見た文字の美しさを、そのまま模倣したくなるかもしれません。カリグラフィーを学んだ上で石に彫ることを学んだ人は、ペンや筆のスキルを忘れて彫ることを困難に感じます(私には紙の上の作品が石の上に転置されたように見えます)。そして、タイポグラフィーを学んでから石を彫るようになった人は、石の上にタイポグラフィーを制作しようとします(図19、図20、図22 、図23)。そのため、石に施された文字のデザインは時々、石文字のためのものではなく、他の媒体の上で生まれた形を単に石の上に転置したものになるのです。
図 23 所在地は不明
私は上記のことをローマ国立博物館で共和政期の碑文(図17)を初めて見たときに、突然気づきます。トラヤヌスの碑文に使われている滑らかな白い大理石とは対照的に、トラバーチン大理石(図24)のような、おそらく現地で採取されたもっと粗い石に、それらの碑文は彫られていました。このような石に細いストロークやセリフを彫ることは不可能であり、太い線と細い線の明白なコントラストや優雅なセリフについては論外です。太い線と細い線を入れてデザインされた文字(平筆の文字から発展させた形)を彫るのは、皇帝や大富豪層にしか買うことのできない、きめの細かい石の素材に限ったことであるのが、不意に明らかになったのです。しかしながら、彼らのための文字以外にも多くの文字のデザインが存在していたはずです。トラヤヌスの文字を愛する私は、二度目の打撃を受けました。それまでトラヤヌスの文字を、「絶対的な」ローマン体のデザインであると誤って信じていたのですから。同じ名前の書体(トレイジャン)の出現によっておびやかされた私のトラヤヌスの文字への愛は、やっとのことで持ちこたえたにもかかわらずです。この書体は、オリジナルの手書きもしくは彫られたトラヤヌスの文字と比べると、まるでぬいぐるみのように精彩に欠けています。粗削りな共和政期のローマン体(図25)の方が、高く評価されているトラヤヌスの文字より、ともかくも生き生きとして、どういうわけか真の文字のように見えてきたのです。
図24 トラバーチン大理石の例 但し文字は共和政期のものではない
図25 共和政期の文字様式の文字 アッピア街道 ローマ(イタリア)
失われた機会
文字の輪郭をドローイングした石文字は、ローマ帝国時代に既に存在していました。彫った後に青銅で充填されている文字はそのようにデザインされていましたし(図26、図27、図28)、ウエイトは、壮大な建築物に並べられる文字として非常に適していました。トラヤヌス帝の碑文以来、石文字のデザインは平筆で書かれた文字を彫る方法から、輪郭をドローイングして彫る方法に変わっていきました。15世紀のイタリアでは、ルカ・パチョーリなどの手による文字の手本や、作図からおこされた文字以外にも、フリーハンドで輪郭をドローイングした石文字(図24、図29~33)も世に出ていたのです。例を挙げると他にもありますが、例えば斜めの線が細いNの文字(図32)があります。典型的なドローイングされた文字であり、平ペンや平筆で素直に書ける文字ではありません。当時の文字の石彫家たちは、ローマ帝国の平筆で書かれた文字のデザインを手本にするのではなく、意識して輪郭をドローイングする文字を選んでいたのです。これは、真の石文字のデザインの可能性としては有益な変化でした。なぜなら、文字を彫ることは、文字を書く行為より文字をドローイングする行為に似ているからです。
図26 図27 図28 青銅の文字をはめる、彫ったくぼみ
図26 シエーナ(イタリア)図27 図28 ローマ(イタリア)
図29 サン・ジョバンニ・ア・ポルタ・ラティーナ教会 ローマ(イタリア)
図32 ピサ大聖堂に付属する納骨堂、カンポサントの中 ピサ(イタリア)
図33 アッシジ(イタリア)
しかしながら、活版印刷の出現でカリグラフィー離れが起こり、文字の石彫家たちが活字やカリグラフィーを模倣することに繋がっていきました。残念なことに石文字のデザインは、カリグラフィーの弟分から、タイポグラフィー(図19、図23)とカリグラフィーの弟分になってしまったのです!それが今日まで続いています。しかし、文字の石彫家たちが、今また「石を考えている」という明るい兆しもあります。
筆者注:これらの見解は、2003年のロンドンでの講演で最初に紹介したものです。2004年にはイギリスで『Forum』8号の記事として掲載され、また2006年には図版を増やしてアメリカで『Letter Arts Review』に。そしてその後オーストラリアのレターアーツ定期刊行物にも掲載されました。この度、J-LAFのために見直した見解を、写真も増やしてご紹介します。
ロンドンの講演後、1960年のニコレット・グレーの著書『Lettering on Buildings』(建築物に使われる文字)を読んで、私が出したいくつかの結論は、経路は違っても彼女の結論と同じだったことを知りました。
[1]チェイスとは、チズルを石に対してかなり平らに持って彫ることです。対して「チョップ」とは、チズルをもっと垂直に持って彫ることです(チェイスと同様、チズルの刃先の一方の角が石の表面より上にある状態で、チズルの柄と石の表面の角度をおよそ60度にしてチズルを持ちます。的確な角度は、彫る石の硬さによって違ってきます)。チョップは、石の粒子が粗く、チェイスで彫ると細かい欠けが生じてしまいそうなときに役立つ彫り方です。
[2] Edward M. Catich, The Origin of the Serif (2nd edn., Davenport: Catich Gallery, St. Ambrose University, 1991)
<プロフィール>
Kristoffel Boudens クリストッフル・ボーデンス
1958年ベルギー、ブリュッセル生まれ。
6年間美術(絵画)を学び、レタリングはトム・パーキンス、ゲイナー・ゴフ、ピーテル・ボーデンスに師事。非公式だが、ジャン・クロード・ランボローやジョン・ナッシュにも大きな影響を受ける。1989年からフリーのテキストデザイナーと文字の石彫家として活動しながら、石文字のデザインや美術を教え続け、またサンフランシスコ、メルボルン、ローマ、バチカン、ロンドン、ケンブリッジで講義を行った経験も持つ。
2人の姉妹と2人の兄弟も文字に携わる。父親はベルギーにおける20世紀のカリグラフィーの創始者。ブルージュの近くの中世の雰囲気が残る村に妻、3人の子供と暮らす。
翻訳:朝倉紀子
校正:関智子