清水裕子「瀬戸内の島に建った純白の石碑」前半

2016年3月下旬、瀬戸内海の小島に建立された石碑が除幕式を迎えました。アルファベットを手書きして手彫りした石碑です。この両作業を1人で行った石碑としては、もしかすると日本では初めてだったのかもしれません。この記事は、私の個人的な願いから生まれ、多くの方々の支援でできあがり、公のものとして巣立っていったこの石碑のお話です。前半、後半を通して読んでいただけましたら幸いです。

はじまり 2015年3月
欧文の石彫であるレターカッティングが日本に紹介されたのは2009年10月のことです。J-LAFがイギリス在住のレターカッター、ゴードン恵美氏を講師に招いて始めたワークショップに、私は初年度から参加しました。その時から、私がカリグラファーとして長年培ってきた文字の知識と技術を全面的に投入して、レターカッティングにも励む日々が始まりました。文字を手書きして沢山石を彫り、発表する機会を持つうちに、いつしか漠然と「石碑を作ってみたい」という気持ちが芽生えてきました。

そんな中、闘病していた父が2015年3月に他界しました。退職後、瀬戸内の牛窓沖合にある小さな島のひとつ、前島(岡山県瀬戸内市)に居を構えて母と暮らし、娘や孫たちが自然とふれあう貴重な場所を作ってくれた父でした。父を見送ったその日、前述した私の思いは「父が生きた証となる碑を建てたい」というはっきりとした目標に変わりました。そして、どこにどの様な石碑を建てるのか、その時点では何ひとつ具体的なものがないにも関わらず、「作業を始めるのは10月。年内にはきっとできあがる。」と心に描いていました。そんな青写真を抱いてそれから数ヶ月間、私は想像と実現の可能性の狭間で自己問答を繰り返しながら先へと進みました。

左から:初めて彫った作品「ALOHA」(前島にて撮影2010年)
    レターカッティング道具
    制作風景(前島にて2015年)

すべてに「時」あり 2015年夏
父がいなくなり、前島の家はそのままに、母は神戸の末妹宅で暮らしていました。私が住む芦屋とはごく近所です。4月以降、私は母と共に月に1、2度前島に足を運ぶようになりました。折しもその秋には、大阪と東京でJ-LAF主催のレターカッティング展が開かれることになっていましたので、私にとって毎回の前島滞在は、作品を彫る機会でもあり、また、石碑作りの道を模索する大切な時間でもありました。

両親が24年間ほど住み、父が心から愛した前島は、牛窓港の目の前にあり、近年いくつかのCMやドラマのロケ地にもなっている夕陽が美しい島です。150人に満たない島民の多くは農業をされており、また、休日や季節の良い時期には釣りや海水浴客が大勢訪れ、島の民宿やペンションを利用しています。「石碑の建立場所は?」という自問は、当然「前島のどこか」に行き着き、両親が過ごした日々の暮らしを漠然と想像しながら、その先の答え探しをしていました。必然的な流れが最良の結果をもたらしてくれることは、物作りの経験から身体に染みついていましたので、数ヶ月間思いを温めながら動く時間があったことは幸いでした。

 

前島の風景

そしてその夏、私は大事なことを思い出しました。振り返ってみると、何故このことに早く気付かなかったのかと思うのですが・・・。

前島には、学校法人啓明学院が所有する野外活動施設「前島キャンプ」があります。啓明学院は神戸市にあるキリスト教主義に基づく男女共学の中高一貫校で、毎年春と夏には啓明学院生が瀬戸内海の豊かな自然の中で、教室では経験できない多彩な野外活動に取り組んでいます。父がまだ島の自宅で闘病生活をしていた前年(2014年)8月のこと。私は看病も兼ねて夏の間、島に滞在していました。その年の秋に予定していた友人との二人展のために、私は島で石を彫り、案内ハガキ用の写真撮影もしてしまおうと考えていました。どこか撮影の背景として良い場所がないかと父に尋ねたところ、「バツグンにきれいな所があるよ。ボクの好きな場所。」と自慢気に答え、私が訪れたことのない海を見渡す絶景の場所に連れて行ってくれました。それが前述した前島キャンプ内にある「祈りの丘」という野外礼拝広場でした。私はこのことを突然思い出したのです。その時私が撮影しようとしていたのは、瀬戸内に浮かぶ島影のような形をした石に「remembrance」というワードを彫った作品でした。このことを思い出した瞬間、その石に彫った言葉の意味が「記憶、思い出、思い出させるもの」だった偶然にも気がつき、驚きました。「石碑の建立場所は前島キャンプしかない!祈りの丘だ!」と私が思った時に、おそらく父は「やっと気がついたか」とそばで苦笑していたことでしょう。

左から:啓明学院前島キャンプ正門
    祈りの丘
    「remembrance」(祈りの丘で2014年8月26日に撮影)

このことがきっかけとなり、まるで堰き止められていた水が流れ出すように、啓明学院や関係者の皆さんと両親との間にあった様々なご縁も記憶の底から次々と蘇ってきました。きっとすべてに「時」があり、この時に事が動き始めたのだと思わずにはいられない出来事でした。

大きな前進 2015年9月24日
そこからは、祈りの丘のイメージと啓明学院の存在が私を先導してくれる形で、企画の提案準備も弾むように展開していきました。9月24日、私は石碑のラフスケッチと企画書を用意して前島まで足を運び、前島キャンプ責任者である生島嘉弘さんに石碑寄贈の提案をしました。生島さんはその場で啓明の尾崎八郎理事長(当時)に電話して下さり、その翌日に啓明学院で理事長とお会いすることになりました。

彫る石は真っ白な大理石、彫る文章は「あなたがたは世の光である」(マタイによる福音書5章14節)との提案を、理事長は満面の笑みで快諾して下さいました。建立場所については具体的な希望を挙げずにいたところ、後日、理事長から「祈りの丘に建ててはどうでしょうか」というありがたいご提案をいただきました。

いざ関ヶ原へ 2015年10月1日
ここからは肝心の石彫りに関わる段取りです。私がそれまで彫っていたのは、ひとりでも楽に運べる程度の石ばかりでした。石碑となると、形やサイズ、重さに関して、自らの体験による知識は何ひとつない訳です。手もとにあるレターカッティング関係の本とインターネット上の石碑を参考に形を決め、重量も「男性が数人で運べる限度内で」と想定して簡単なイメージ図面を作り、10月1日、石屋さんに足を運びました。向かった先は関ヶ原(岐阜県)にある石材会社です。自宅から車で2時間。決してご近所ではありません。以前、その会社の近くにある伊吹山が丸ごと石灰岩でできているらしいと聞いて興味を持ち、訪れた際に偶然「関ヶ原マーブルクラフト」と書かれた看板に遭遇し、中に足を運んだことが、この会社を知ったきっかけでした。マーブルとは大理石のことです。それを機に石の購入、石に関する相談などを通して担当の方とのつながりができていました。それまでに何種類かの白大理石に彫った経験を生かし、この石碑にはマケドニア産のシベックという純白の大理石を選びました。担当の方に重さに関係してくる厚みについて相談すると、その場ですぐに重量計算してくださり、こちらの希望する厚みでも、なんとか男性数名で動かせる重さ(80kg弱)であることがわかり、イメージしていたサイズ通りで発注することができました。

石のサイズ等が書かれた書類(部分)と、啓明学院前島キャンプの位置を記したマップ。

パズル最後のピースがはまる 2015年10月13日
石の準備が整うまでの間に、私は発泡スチロールを貼り合わせて実物大のダミーを作りました。10月13日、それを前島キャンプに運び、石碑を建てる位置と土台にする石のおおよその高さを決めました。また、上述の「remembrance」作品を使って陰影の見え方を確認し、石碑正面の向きも検討しました。前島から戻った数日後、それまでダミーに貼りつけていた活字の仮文字を平筆文字に貼り替えて、神戸の啓明学院に理事長を訪ねました。偶然にもその日は啓明学院創立92周年記念礼拝が行われる日で、広い体育館での記念礼拝に私と母も参加させていただき、全校生と教職員、父兄の前で、理事長が石碑寄贈の話と共に私たちを紹介してくださいました。そしてこの日、理事長から「石碑の裏面に彫る日付を学校の創立92周年記念の日にしてはどうでしょうか。」との提案をいただきました。父の生きた証にしたいと思って始めたことでしたが、石に刻む日付はどのような根拠で決めたものかと考えていたところ、こうして尾崎理事長がパズルの最後のピースをはめてくださいました。

左から:生島さんと、ダミーを使って設置場所と高さを検討。この後、背後にある木の枝が広範囲にわたって間引かれた。
    筆文字に貼り替えたダミー。
    筆文字を整えてドローイングしたもの。
    贈呈クレジット。この時点ではまだ日付は「適当」。位置は随分上に変更し、自分のマークも削除した。

筆文字で書いた本文と裏面の贈呈クレジットはその後ドローイングして整え、準備は着々と進んでいきました。石をオーダーしてから約3週間後の10月23日、私は石を受け取りに関ヶ原まで出向きました。石を丁寧に縛り、包み、車内で動かないように固定して下さる石屋さんの作業を見ながら、「いよいよ次の段階に進むのだ」と、私は気持ちの高まりを感じていました。

関ヶ原マーブルクラフトにて。

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啓明学院前島キャンプについてはこちらから
http://www.keimei.ed.jp/n_aboutschool/aboutschool.html

<プロフィール>
清水裕子
兵庫県芦屋市在住。カリグラファー、レターカッター。ボストンに在住していた1994年にカリグラフィーを始める。2009年からレターカッティングをゴードン恵美に師事。2017年からJ-LAF主催ゴードン恵美レターカッティング入門ワークショップの講師アシスタント。カリグラフィーで培った文字の知識と経験を石にも展開している。三戸美奈子著『カリグラフィー・ブック』(誠文堂新光社、2011年)協力、及び、同著の増補改訂版(2017年)では「文字のドローイング」の章を執筆。レターアーツ専門誌『Letter Arts Review』(John Neal Bookseller)年鑑掲載や海外展覧会招待展示、海外カンファレンス参加など、国内外で活動している。
スタジオレターアーツ主宰
NPO法人ジャパン・レターアーツ・フォーラム副代表理事
ウェブサイトhttps://studio-letterarts.com