TIMOTHY NOAD インタビュー

この記事は、イギリスのカリグラフィー団体Calligraphy and Lettering Arts Society(CLAS)の機関誌「The EDGE」2015年春号に掲載されたTim(Timothy) Noadのインタビュー記事です。

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ティム・ノードはこの団体の最も有能なメンバーの一人であり、自分の愛することを仕事にしている数少ないレタリングおよび紋章アーティストの1人です。私たち、オックスフォード・スクライブズにおいて幸運だったのは、ドラゴンをデザインしたり、ゴールドで文字を書いたり、ボーダー用の連続パターンを創作するワークショップ、また、最近ではカリグラファーのための紋章技術取得コースを指導するワークショップの講師としての彼の経験の恩恵を受けられたことです。クラブ・デイの講演で、彼は、英国王立造幣局のために彼がデザインした硬貨について話してくれたり、何年にもわたってたくさんの展示会をサポートしてくれたりしました。彼はヴィクトリア・アンド・アルバート博物館でのコレクションの仕事もあり、また、王室の婚礼を祝う巻物をはじめとする多くの公文書を作成しました。ティムは彼の書くカリグラフィーが絵と同じくらいすばらしいという点で、紋章アーティストの中でも卓越しています!彼の仕事は伝統的な技術からより現代的なアプローチまでカバーしており、刺激的です!

子供の頃からずっと紋章学に興味があったのですか?
そうだと思います。7歳頃にサインペンで描いたいくつかの紋章画を今でも持っています。子供の頃、いつも絵を描いていて、グラフィック・アーティストでもある母が常に励ましてくれました。中世の歴史を教えてくれた小学校の先生もいましたが、それは私の心を強く捉えました。私は12歳頃の時、ミドルセックス紋章協会に加わろうと決めました。会員の人たちは私よりずっと年上で、その中には私の中学校の美術の先生たちもいました。ですが、彼らは温かく迎えてくれ、私は紋章アーティストというものが存在することを知ったのです。私は彼らと一緒に、紋章院の紋章画家(紋章アーティスト)であるノーマン・マンウェアリングの美術のクラスに入りました。このクラスは、ロンドンのセント・ブライズ会館で夜に週1回開かれ、私は学校が終わると地下鉄に乗ってロンドンに通いました。学校では私の美術の先生以外は、躍起になって私にこの「非現実的な」職業をあきらめさせようとしました。私は学校の成績もとても良かったので、先生たちは私に大学に行ってほしかったのですが、私はアーティストになると決めていました。

キンロスハウスの、2014年の卓越した修復に対する贈呈品

カリグラフィーを学びたいと決めたのはいつですか?
私は12歳の頃から独学でカリグラフィーをやっていました。私は「How to Write Like This」という名前のワークシート1セットとオスミロイド製のイタリック・ペンを持っていました!私は1984年にライゲート美術学校でカリグラフィー・紋章学・装飾文字のコースを始めるまでは何もカリグラフィーのクラスを取っていませんでした。最初は、紋章に添えるのに足りるくらいのカリグラフィーで良いと思っていましたが、それでも満足できるものに達するのに苦労していました。

技術をどのように習得しましたか?
ライゲートでのプログラムを立ち上げ運営していたアンソニー・ウッドは、紋章と装飾文字の技術の優れた教師でした。彼にジェラルド・マイノットが加わり、私たちが一段階先の勉強をするように励まし、刺激的な課題を設定してくれました。ライゲートでの勉強の後、私はSSI(Society of Scribes and Illuminators)1の上級トレーニングプログラムに加わりました。ゲイナー・ゴフが指導者の一人であり、彼女自身ライゲートの元学生でした。彼女は私のカリグラフィーはまだ私の他の技術よりかなり劣っていることに気づかせてくれ、私は彼女の月1回のワークショップに参加し、最初からやり直しました。結果、私は1992年にSSIのフェローとなりました。私は、ワークショップに参加したり、練習や分析によって私自身の仕事や専門知識の向上に絶えず努めたりしながら学び続けました。

あなたが最も刺激を受けたのは誰ですか?
挙げなければいけないのは、私の先生たち、つまり、中学校の先生だったグウィネス・ジョーンズ、ノーマン・マンウェアリング、アンソニー・ウッド、ジェラルド・マイノット、そして、ゲイナー・ゴフです。もちろん、その他の多くの過去や現在のカリグラファーやアーティストも尊敬しています。ウィリアム・モリスからは常にデザインに対する大きな影響を受けました。私は毎晩、リビングルームに座ってカーテンを分析しています。

オックスフォード・スクライブズに加わったのはいつですか?
2000年ごろです。

どのようにして紋章院での職を得ましたか?
ノーマン・マンウェアリングは、学校が休みの日に、大学の彼のスタジオに来て一緒に仕事をすることを許してくれました。1984年、紋章院は創立500周年記念を祝ったのですが、私は17歳にして、院の2人の創設者であるリチャード3世とメアリー・チューダーといった歴史上の人物や工芸品に囲まれた建物を示す歴史を描いた大きな作品を作りました。私はそれを紋章官に見せると、記念祭の期間中、院での展示に貸し出されました。残念なことに、ノーマンは1985年、私がライゲートにいる間に亡くなりました。翌年、私がプログラムを終了すると、紋章官たちは私を院に招いて働かせてくれました。私はノーマンの屋根裏部屋を生活の場とし、30年後の今もそこをスタジオとして使っています。

フクロオオカミ、別名タスマニアタイガーの細密画 ヴェラムにガッシュとゴールドで

紋章院でのあなたの職業上の肩書は何ですか、またそこで何をしていますか?
私の肩書は紋章画家ですが、これは紋章アーティストと全く同じです。私はまた、代書人でもありますが、これはカリグラファーのことを指します。院で働いているほとんどのアーティストは紋章アーティストかカリグラファーのどちらかです。紋章官は顧客と相談しながら新しい紋章をデザインしますが、顧客は個人のこともありますし、企業のこともあり、紋章特許状を描いて(書いて)もらうために私のところに来ます。これはヴェラムに書かれた証書で、紋章の使用を許可する王立機関の特許状の形式を取っています。私はまた、勅許状や王室家系図、その他の公的依頼任務を行っています。私はまた、国璽(こくじ)部のカリグラファーであり写本装飾画家でもありますが、その仕事は大変少なくなっています。

今、カリグラフィーや紋章学を始める人に職業としての紋章アートを勧めますか?
その分野に対して私が抱いていたような情熱を持っている人のやる気をそぐようなことはしたくありませんが、それで生計を成り立たせるのは、特に最初は非常に難しいですし、恐らく、最近さらに難しくなっています。評判を確立するのと同様、非常に込み入った題材について知らなければなりません。しかしながら、特に証明書などの仕事をしていれば、カリグラファーには紋章に関連した仕事の依頼は常にあります。

あなたが最も誇りに思う仕事の依頼は何ですか?
ひとつだけ選ぶなんでてきません!オックスフォードイスラム研究センターや、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚承諾書のような大きな勅許状の依頼は誇りに思います。これらには女王が署名しました。また、2013年―2014年の1ポンド硬貨や記念メダルに私のデザインが選ばれたことはとても嬉しかったです。とても重要な仕事に対してフィードバックがないのはよくあることですが、なかったとしても、それは個々の依頼者が私の仕事に感動したと言ってくれるのと意味は同じようなものだと思っています。

マスターマインド(イギリスのテレビクイズ番組)に出場したのはいつですか?あなたの「専門家の問題」は何でしたか?
2000年に出場しました。その頃、マスターマインドはラジオ4で放送されていて、ブラックチェアーにこそ座りましたが、テレビの出場者のような恐ろしい体験はしませんでした。しかしながら、私は決勝まで行き3位になりました!私の「専門家の問題」は、ラファエロ前派、サー・クリストファー・レンの設計した教会、それに作曲家ヘンリー・パーセルでした。当時は、自分の職業に関連した問題を扱うことはできませんでした。私はまた、2003年、「ユニバーシティー・チャレンジ―プロフェッショナル達」(クイズ番組)で、紋章院チームに加わりました。およそ勝ち目がなく、インランド・レベニュー・チーム(ニュージーランドの政府機関)に完敗しましたが、彼らはすでに国内クイズチャンピオンであり、コンテスト全体の最終的な勝者となりました。

ティム・ノードがデザインを手伝い、描いた王室紋章画
ウエストミンスター・ホールのダイアモンド・ジュビリー・ウィンドウ
ステンドグラス・アーティスト、ジョン・レインティエン氏による依頼

あなたは、他に何か私たちが知らない特技をお持ちですか?
特にはありません。私は非常に仕事とアート志向の人間です。バロック音楽やガーデニング、美術館や古い建物巡りを楽しんでいました。結果的に、美術史で定時制の大学の学位と修士を取りましたので、学業において反対していた人を最後に見返しました。それとも、結局彼らの方が正しかったでしょうか?

インタビュアー:ヘレン・スコールズ
翻訳:深尾全代、清水裕子

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1 SSIは、1921年にイギリスでエドワード・ジョンストンの初期の生徒達によって、文字や写本装飾の技術を向上させることを目的として創設された団体。