試行としてのカリグラフィー:
手書きの本を創作することの意味とそこからの発展 <前半>
カリグラフィーを習い始めた当初から、文字を使って何か別の冒険的な表現や、カリグラフィーを考える上での新しい方向を見いだし探すことにとても興味を持っていた。もちろん伝統的なアルファベットをきちんと学ぶクラフト的な部分は本当に楽しんでいたけれど、新しい何かを創造することや自分独自の表現方法を見いだしたかった。数年に渡り、何でも試してみようという考え方に導びかれて今にいたっている。
この気持ちは確実に、自分が学んできたランドスケープ・アーキテクチャーに含まれるデザインやアート・トレーニングによって増長されていたけれど、サンフランシスコに住んでいることもかなり影響しているように思う。住んでいる家はアジアのコミュニティーにも近く、アートショップには墨や筆や東洋の書道についての本などが溢れるようにあり、気軽にそれらに触れる機会があったから。日本の禅書道や西洋文化でない書き文字、特にアラビック文字に魅了された。(サンフランシスコ)ベイエリアに住む芸術家たちとの関係も繋がりを広げてくれた。
同時にフランツ・クラインやマーク・トビーなどの近代抽象画家のカリグラフィー的な表現もよく考察した。
結果的にこれら全てが影響して、カリグラフィーを視覚的表現の材料として使い冒険的なことをする方向へ自身を導いた気がする。歴史的な形や読めることに執着せず、手書き文字を使ってその文章の持つ感覚やムード、雰囲気を視覚的に捉えられるものなのか試したかった。このような試行錯誤から、今までに沢山のたった1冊の本を作ってきた。
以下に紹介する最初の2冊は1980年代の始めに作ったもので、かなりトラディショナルな要素を含んでいる。
The Bestiary (『動物寓意譚』)
この本に使用したテキストとドローイングは、架空の動物に関する、元はラテン語で書かれ英語に翻訳されたT. H. ホワイトのThe Book of Beasts から抜粋し自分なりに解釈したものである。この本はオックスフォード大学のボードリアン図書館と大英図書館で中世写本を直に見て研究をした後の1981年に制作した。
ヴァーサルの大文字はボードリアンで見た12世紀の写本の書体を模写し、テキストに使ったのはルネッサンス期のマスターであるフェリース・フェリシアーノのヒューマニスト書体を参考にしている。
Alchimie du Verbe (『ことばの錬金術』)
この本に使った文章はアルチュール・ランボーによるA Season in Hell (『地獄の季節』)と題する本の、フォーマルとやや散文体の両方を含む詩である。テキストは原語のフランス語と翻訳された英語で書かれている。フランス語の部分はフォーマルなブックハンドを使ったのだが、英語の詩は書体的にはトラディショナルだが創造性を表現するような構図にした。自分がやりたかったことは、文字の不規則な配置によりそれぞれの詩の雰囲気やムードを捉えること。フランス語はわざと整然としたコラムに収めエクスプレッシブな構図を落ち着かせる役目を持たせるようにした。これはサンフランシスコ中央図書館/スペシャルコレクション内、ハリソン・カリグラフィー・コレクションの名の由来であるリチャード・ハリソン氏からの依頼の仕事だった。
Tabula Gratulatoria (『祝辞』)
詩は、英国シェフィールド在住アングロ-ウェルシュの詩人ディビッド・アヌーン氏著。
ディビッドとの出会いは不思議な縁としか言いようがない。2002年の夏、彼ら夫妻がドイツのドキュメンタ(現代アート展)へ向かう途中に少しだけブルージュに寄り、偶然訪れたマナ・アート・ギャラリー(カリグラフィー作品を扱うギャラリー)でいくつかのカリグラフィー作品を見ることになる。
以下はディビッドによる言葉:
数あるカリグラフィーの作品の中で、ある一人の作品にくぎ付けになり、問いかけた。このような、滝というか溢れるほどの文字、形を絵画空間に大胆に触感的に取り込んだ作品の作者は一体誰なんだ?ギャラリーの人から、これらの作者はトーマス・イングマイアというアメリカ人だと教えられた。ドキュメンタも見終わり英国の家に帰ってからも、ドキュメンタを見て来た後だというのにあのカリグラフィー作品のイメージが頭から離れなかった。その気持ちの反応から Tabula Gratulatoria と題した詩を書き上げ、語義的な行き詰まりから切り抜けられた。
ディビッドの本の出版元から、その詩と一緒に手紙と彼の2冊の本が送られてきた。手紙は純粋に、マナ・ギャラリーでディビッドが目にした私のカリグラフィー作品によってわき上がった発想に対する感謝の現れだった。実際のところ、この手紙を読んだときの気持ちを表現するのは難しい。ある人が世界の遠く離れた所で私の作品を見た感想をしたためてくれること、ましてやその作品から受けた感情を表現するために、思慮の行き渡る、私が作品を作っているときには考えてもみなかったような言葉を使って詩を書いてくれるとは、実に素晴らしいことだと感じた。その詩を使って作ったこの本は数年たった今でも他のどの本よりも傑出していると断言できる。なぜ創作活動、作品作りをするのか?という永続する問いに対する答えをもらったような気がしてならない。
●プロフィール●
トーマス・イングマイア
オハイオ州立大学とカリフォルニア大学バークレイ校大学院にてランドスケープ・アーキテクチャー(景観設計)を専攻し、そのカリキュラムにおいてデザイン、ドローイング、デッサンなどファインアートの基礎を実践として学ぶ。
ランドスケープ・アーキテクト(景観設計士)として働きながら、偶然受けたカリグラフィー・レッスン、それに続く製本を学ぶうちにライフワークとして考え始め、ドナルド・ジャクソンの長期クラス受講を機にカリグラフィーに専念。
1977年、英国SSIの初の外国人会員として認められる。
当初の作品には伝統的な文字を使ったものが多く見られるが、次第に詩・文章から受ける感情をカリグラフィー的なラインを使って表現する作品づくりへと方向転換していく。
近年では、数百年ぶりに全て手書きで制作された聖書セント・ジョーンズ・バイブルにイルミネーター(装飾師)として参加。
また、造形作家と詩のコラボレーションで16冊のオリジナル本を制作、その作品は美術館や大学などの展覧会で一般公開もされている。現在は引き続き詩人や音楽家とのコラボレーション本の制作を精力的に行っている。
ワークショップやカンファレンスなどの講師歴は35年を越え、北米を始め欧州、オセアニア、香港、日本などで幅広く教えている。様々な書体やギルディングなどの伝統的な技法から、グラフィックの要素を取り入れたものまで、個性溢れるレッスンが多い。1942年生。カリフォルニア州サンフランシスコ在住。
日本語訳:杉山明穂/Akiho Sugiyama