ユルゲン・ヴェルケムスト 『不完全さに導かれて』

この記事は、サンフランシスコのカリグラフィー団体Friends of Calligraphyの季刊誌『Alphabet』48巻第3春号に掲載された、ユルゲン・ヴェルケムスト(Jurgen Vercaemst)について書かれた記事です。筆者は、レタリング・アーティストでデザイナー、そしてこの会報の編集者を長年務めるカール・ロース(Carl Rohrs)です。

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ユルゲン・ヴェルケムスト 『不完全さに導かれて』

ベルギーのレタリング界の達人、ユルゲン・ヴェルケムストの父は常に子供たちに美しい手書き文字を大事にするように勧めていたので、文字は大切であるという感覚は人生を通してユルゲンの意識の一部分になっています。彼の実際のカリグラフィーの旅は、1990年頃、のちに妻となるアネケから贈られた、クロード・メディアヴィラの弟子であるフランク・ミサントのワークショップから始まりました。また同時期に、まさにここブルージュで、ブロディ・ノイエンシュヴァンダーの芸術人生について地元テレビのドキュメンタリー番組が放送されました。この2つの出来事が、ユルゲンが「カリグラフィー満載の人生」と呼んでいるものに拍車をかけました。

 

 

 

 

彼に最も刺激を与え、師であったのは常にイヴ・ルテルムでした。ユルゲンはイヴの作品の虜になり、イヴのワークショップに可能な限り参加し、それが30年近く続いていると喜んで認めています。最近、私がユルゲンと会話した時、彼はイヴとの出会いについてこう述べています。「フランクのワークショップのあとすぐに、その時存在しているクラスをすべて調べたのを覚えています。モリトーンというカルチャーイベントやワークショップが行われている場所がありました。私は、イヴのクラスを見つけ、いくつか、というよりたくさん受講しました。彼は90年代後半に、私にそこで教えたらどうかと最初に言ってくれた人でもあります。だから、彼は私の人生にそのような重要な影響を与えた人なのです。」

イヴは、最も誠実な友であり教え子であるユルゲンについて私にこう書いてきました。「私たちは30年来の付き合いです。彼が私のクラスに参加して、かなりの『文字の虫』であることがすぐにわかりました。その時でさえ、忙しい仕事と時間のかかる趣味を両立させていましたが、今でもそれをやってのけています。そのことに私は絶えず驚かされています。
ユルゲンは穏やかで、慎み深く、気前が良くて、礼儀正しく、学ぶことに熱心で、限りなく忍耐強い。センスが良く、正確さの感度が高く、そして何より枯渇することのない才覚をもっていて、これらの特質がすべて、カリグラフィーの世界で、教師そしてアーティストとして大いに役立っているのです。」と。

 

 

 

 

 

ユルゲンの人生における、もう1人の運命的な師は、このジャーナル前号で取り上げたピーター・ソーントンです。彼は、きれいなレターフォームや、構図、レイアウト、そして、最も重要なことである、文字のドローイングに対する、ユルゲンの認識力と理解力を高めました。ユルゲンについて尋ねると、ピーターは嬉しそうにこう答えてくれました。「20年近くも前、ベルギーでのワークショップで彼に会った時、クラスでの彼の作品は、今では彼の授業で多くの生徒が感じ、目の当たりにしている穏やかな独創性を放っているようでした。彼の作品には、彼自身のとてつもない技術と創作力を示す、キリッとした表情があります。彼のカリグラフィーに対する愛は、実際に愛がそうありがちな様に、その内部で消耗し、膨らみもします。」

その他にもヨーカ、リーズベット、ピーテル、クリストフルのボーデンス家兄弟姉妹、ブロディ、ジョン・スティーヴンス、トーステン・コル、ユアン・クレイトン、クリストファー・ハーネィス、ジュリアン・ウォーターズ、そして、エルモ・ヴァン・スリンガーランドが、ユルゲンの知識を広げ、テクニックに磨きをかけました。ユルゲンは、こういった指導者の教えを吸収し超越し、その結果、彼の最も重要な師であるイヴ、ピーター、エルモの三人それぞれが何度も彼とチームで教えることを選択するほどになりました。例えば、ピーターとはニューヨーク州アッシュビルでの2016年開催コンファレンス『A Show of Hands』で。エルモとは2019年のノースカロライナ州チェリオで。そして2014年、ブルージュでの『Trilogy』というタイトルのクラスでは、ピーターとイヴ2人と一緒に教えました。また、2019年には『Shape Your Story』という通年クラスで、イヴ、ブロディ、そしてブルージュで活動する2人のカリグラファー、ミシアン・ヴェールとヴェロニク・ヴァンデヴォルデと共にチームティーチングを行いました。ブロディが主宰する有名でエレガントな『A Brush With Silence』というライティング・デモンストレーション・イベントにおいては、2009年以来常連の参加者です。

15年ほど前、私がユルゲンに会った時、彼は妻のアネケと一緒にブルージュの郊外にあるラダーヴォルデで、ウィルトンという寄木張り床材の事業を営んでいました(2004年〜2015年)。そこはカリグラフィーのワークショップをするのに十分な広さのショールームがあったので、彼はそこに国際的な講師だけでなく地元の多数の才能あるアーティストを招いて、文字アートの祭典のための、控えめながらも圧倒的に居心地の良い場所を築きました。

 

中世の町ブルージュは、おそらく、世界一ではないにしてもヨーロッパで一番レタリング熱が高く、レタリングをする環境に恵まれた自治体です。20世紀後半の大半を通してベルギー最高峰のカリグラファーであったジェフ・ボーデンス(図らずも5人の素晴らしく創意に富んだレタリングアーティストを育てた人でもあります。ユルゲンはその5人のうちイェルン以外の4人に師事しています)の地元だったことと、レタリング界で最も革新的思想の持ち主の一人であるアメリカ人、ブロディ・ノイエンシュヴァンダーがこの町にやって来たこととの組み合わせが、ブルージュの町を才能あるカリグラファーやアーティストの温室に変えました。それ以来、まったくオリジナルなレタリングをベースにした作品や、ユニークな筆写イベントや活動が町にあふれ、世界中のレタリング愛好家を魅了しています。そして、さらに言及しなければならないのは、レタリングの総合専門学校である、European Lettering Instituteを創設したブルージュ生まれのリーバ・コルニルと、長年にわたるレタリング界の支援者でありコレクターであるヤン・ブロース(エルモの大切な顧客であり友人でした)です。ヤンは、1960年代以来ずっとレタリングに特化した展覧会や催しを主催してきました。このような環境と個性ある人々との素晴らしい組み合わせの支援のもとで、数多くの素晴らしいアーティストが育っています。

さて、ずっと回り道をして地理的な話をしてきた要点は、ずば抜けたカリグラファー達が活躍するこの地域の最も心温まる中心の一つが、Morris Coffee & Craftsだと指摘することにありました。これは、ユルゲンとアネケがレタリング教室や作品展、イベント開催をしながら営んでいる彼らの次の事業です(フローリング事業を売却し、ラダーヴォルデの交差点の反対側に移った後)。

左:モリス・コーヒーのロゴ。筆記体部分をエルモが、大文字部分をユルゲンが書いたコラボレーション
中:Serio ludere(ラテン語、「真剣に遊ぶ」)

ユルゲンによると、まず第一にモリスはコーヒー専門店(スペシャルティ・コーヒー・バー)であり、朝食やオーガニックのスープ、サラダ、サンドイッチやデザートなどのランチも提供しているそうで、今では彼らの息子が熱心に手伝ってくれているとのことです。ユルゲンは私に「幸運なことに、エミールが私たちの仕事に加わることを決めてくれました。ですから今では、彼が店のシェフであり、フルタイムのバリスタであり、野菜も育ててくれています。そして、私は、皿洗いをしています。」と言いました。ここにはBed & Breakfastの宿泊施設も二部屋あります。

しかし、2階にはワークショップの部屋があり、レタリング用品や出版物が置いてありますが、そこはコーヒーショップがお客さんで溢れるほど混雑する日の臨時の席としても使います。カフェ全体がカリグラフィー作品のギャラリーで、壁や階段、テーブルのガラスの下にさえ展示しています。店の名前はアネケの祖父と、残念なことにこの記事を書くほんの1週間前に老衰で亡くなった飼い猫、そして、そう、3番目にはウイリアム・モリスに由来しています。ユルゲンは、「素敵な妻と、素晴らしいい息子であり最良の友達でもあるエミールと一緒にこのビジネスができて、私にカリグラフィーに費やす時間をちゃんと残してもらえて、私はとても幸せ者です。」とやり取りの中で書いています。それは、単に作品作りをする時間ということだけでなく、招聘したインストラクターや彼自身の対面やオンラインの主催ワークショップを準備する時間だったり、ここモリスや、ブルージュ界隈や、アメリカ、イギリス、イタリア、ドイツといった海外のいたるところで、また2020年以降は広範囲のZOOMでワークショップ講師をする時間が持てるということです。シャープペンシルが、長い間彼のお気に入りの道具で、モレスキンのノートをいつも大切に持っています。

エルモはモリスで何回か、単独であるいはユルゲンと一緒に教えてきました。エルモはユルゲンと彼の作品についてこう語っていました。「彼の文字の描き方は本当に魅力的です。つまり、独創的で、自然に手が動いているかのように紙面を埋め、それを美しい統一体に有機的に作り上げるやり方、鉛筆やファインライナーの使い方です。アッシュビルで開催されたカンファレンスの休憩時間に、スケッチブックを何冊か見せてくれました。テーブルを囲んでいたたくさんの見学者と私は圧倒されましたよ!ですから、2019年チェリオで教えるように依頼された時、最初に考えたことのひとつは、彼と一緒に教え、アメリカでのワークショップのテーマとして、レター・ドローイングを取り上げるということでした。これは幸運をもたらす決定でした。ユルゲンは気前のよいリラックスした教え方をし(いつもユーモアを忘れず)、自分のワークショップ用に素晴らしいハンドアウトを作っているのですから。」

オンラインチャットで、私はユルゲンに、このレター・ドローイングの大好きさはどこから来たのか、ピーター・ソーントンの影響と聞いたことがあるのだけれどと、尋ねました。それについて、後で判明するように肯定はするものの、彼はそこで、自分のレタリングにこのように劇的な変化をもたらした様々なインスピレーションについてずっと考えていました。「それは確かにピーターのクラスでした。2009年、ピーターがトンガリロ修道院に教えに来ました。そこにはイヴもいました。ピーターはくだけた大文字を鉛筆で筆圧をかけたり緩めたりして、教えていました。彼がそれをやっているのを見た瞬間、私はそれをしなければと気づき、やめられなくなりました。そして私は、そこでイヴがビルトアップで大文字を書いているのを見ました。ですから、私が最初にこういう方法で作業しようと思ったのは、ピーターとイヴの2人がきっかけです。そして、そうそう、このころ、クリストファー・ハーネィスの文字がノートに描かれているのを見て、自分でもそれをしなければと思い、ノートにもはまってしまいました。ですから、これらのことがまさにきっかけとなって、スタートしました。そしてヨーカ・ボーデンスもそうです。私があるワークショップに参加した時、彼女はシンボルを描いていました。彼女こそが、輪郭の内側にある内容に気づかせてくれた人でした。私は、中を塗りつぶすのは、ただ塗りつぶすだけであり、黒だろうがどんな道具を使おうがその作業するだけだと思っていました。テクスチャーを創り、それを見せてくれたのがヨーカでした。そこには、リーズベット(彼女の妹)もいました。彼女もまた、ビルトアップの文字が魅力的であることを、彼女の文字のとても独特な形を示しながら気付かせてくれました。ですから、そう、ピーター・ソーントンです。間違いなく、それは常に彼なのです。彼が、筆圧をかける、緩める、かける、とやっているのを見た瞬間、まるで魔法のように感じました。」

インタビューの最後に、ユルゲンは2つの締めくくりの思いを述べてくれました。「一番言っておきたい大事なことは、ここで挙げた人たちが、確かに私に影響を与えたということです。しかし、ここに挙げた人たちだけでなくすべてのカリグラフィーを教える人が、それを学ぶ人、一人ひとりの中の何かを変えてきたということは、間違いないと思うのです。たとえあなたがその時それに気付かなかったとしても、わからないと思っているだけです。私は、モリスを始める前のある時、ウィルトンで教えてもらうために、アメリカ人の先生を空港に迎えに行かなければなりませんでした。彼は車に乗っていましたが、心そこにあらずで、通り過ぎていくあらゆるトラックのサインや建物を眺めて、写真を撮っていました。私は『そういうものは実に見苦しい!』と思っていました。しかし、時が経って今では、私にとって見苦しいものなんて何もないと、話すようにしています。通り過ぎていく数多くのものの中に、彼は、何か美しいもの、何か利用できるものを見ていたのです。カリグラフィーでもタイポグラフィーでも、あらゆるものを見て、見える物に対して『ノー』と決して言わない方が良いのです。どんなものにも価値があるかもしれません。私はあらゆるものを見ています。」

「そのほかに私が特に挙げたい人は、クリストフル・ボーデンスです。彼がうちのコーヒーショップに来るといつも、私たちの会話はすごく興味深いものになります。彼のものの見方は独特です。スペーシングやウェイトの配分で、彼は正しくないことをやりますが、それを意図的にやっていることは分かりますし、とても感情がこもっているんです。私たちは皆、物事を完璧なやり方、つまり、こうする、こうすべきというやり方を学ぶことから始めます。しかししばらくすると、完璧でないものすべてのものの中に見つけるべきものがたくさんあることに気づきます。デービッド・ジョーンズや、ベン・シャーン、ルドルフ・コッホ、アン・ヘックルのことを思い浮かべてみてください。不完全であることが最も重要なインスピレーションなのもしれません。」

筆者:カール・ロース
翻訳:深尾全代、清水裕子

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■講師プロフィール■                               ユルゲン・ヴェルケムスト(Jurgen Vercaemst)
1967 年生まれ ベルギー、クールネ出身のカリグラファー
美しい手書き文字を大切にする家族の中で育ち、10代の頃から手書き原稿に魅せられ、手書き文字作品の収集をする。 25 歳の時に参加したフランク・ミサント(Frank Missant)のワークショップ、地元のテレビ番組で観たブロディ・ノイエンシュヴァンダー(Brody Neuenschwander)の芸術に関するドキュメンタリーが、本格的に彼をカリグラフィーの世界へ導いた。
イヴ・ルテルム(Yves Leterme)は、生涯にわたる師であり、可能な限りイヴのワークショップに参加し学ぶ。また、ピーター・ソーントン(Peter Thornton)より、本質的な文字の形、描き方、レイアウト構成について強く影響を受けている。更に、ヨーカとリーズベット・ボーデンス、ブロディ・ノイエンシュヴァンダー、カール・ロース、ジョン・スティーヴンス、エルモ・ヴァン・スリンガーランド、トーステン・コル、ユアン・クレイトン、クリストファー・ハーネィス、ジュリアン・ウォーターズ、クリストフルとピーテル・ボーデンス、アナンド行美、そしてもちろん、ヤン・ロッシからも学んだ。

2018 年 4 月から、ブルージュ近郊の小さな町ラダーヴォルデで、妻のアネケ(Anneke)と共にカフェを営み、そこで、仲間と共にカリグラフィーを教えている。国内外で講師経験を持つが、その中でハイライトすべきは、2015 年に米国アッシュビルで開催された「カリグラフィー カンファレンス」でのピーター・ソーントンとのチームティーチング、2019 年秋に米国ノースキャロライナ州チェリオで開催されたワークショップでエルモ・ヴァン・スリンガーランドと一緒に務めた講師経験である。最近では、各国の団体で開催されているオンラインセミナーの講師を多く務めている。
鉛筆を愛用し、常にモレスキンのノートを持ち歩るいている。
カフェの情報はこちら
☛ Morris Café & Craft - https://morriscoffeeandcrafts.be/en/home/

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